教員近況

2022年度の学外での活動について

赤松美和子

 今年度の学外での活動について、報告いたします。4月に『台湾を知るための72章(改訂版)』を若松大祐さんと共編で、40名に執筆者にご寄稿いただき、明石書店より刊行しました。これは2016年に刊行した『台湾を知るための60章』のアップデート版です。アップデートの詳細につきましては、「断交後50年の友好国「台湾」の現在・過去を知り、未来を読み解く『台湾を知るための72章第2版』」「じんぶん堂」をお読みください。
 今夏より、「ニッポンコム:日本情報多言語発信サイト」に、「日本語で読める台湾文学」の連載を始めました。二か月に一度、日本語中国語(繁体字)で配信中です。連載では一つのテーマにつき約5冊の日本語で読める台湾文学を紹介しています。今回、改めて昔読んだ作品を読み返したり、最近日本で刊行された翻訳版も始めてみたり、これまでの作品の中に新たな作品を位置づけていろいろ考える良い機会になっています。
 社会貢献活動としては、9月に、代表理事を務めているNPO法人SNET台湾(日本台湾教育支援研究者ネットワーク)で、台湾文化センター、紀伊國屋書店とも協力し、日本で最近出版された台湾関連書籍約400冊を紹介する『臺灣書旅―台湾を知るためのブックガイド』を、29名の執筆者にご寄稿いただき、刊行しました。紙版に加え、オンライン版も作成しています。コロナにも慣れ、日台の往来がようやく自由になりましたので、12月18日に、フォーラム「コロナ後の台湾教育旅行と日台教育交流」を大阪で開催予定です。関西の多くの高校の先生たちとの出会いが楽しみです。また、台湾の高校の最近の文化であるオリジナル卒業ソングに日本語訳を付けて紹介する新たなYouTube番組「台湾高校創作卒業ソング」の配信を開始しました。「台湾高校創作卒業ソング」とはどういうものか、説明するのは難しいのですが、きっとご覧いただけたらわかると思います。SNET台湾の基本的な活動については、4月に寄稿しました「持続可能な日台友好を築くための台湾研究者のプラットフォームSNET台湾」をご一読ください。
 最後に、研究について。科研基盤(C)「現代台湾文学・映画におけるLGBT文化の影響―ジェンダー表象注目して」も最終年度を迎え、「台湾LGBTQ映画における子どもをめぐるポリティクス」を10月に『日本台湾学会報』第24号に掲載していただいたほか、ニッポンコムに「台湾LGBTQ文学:ジェンダー平等を語る言葉と物語」を寄稿しました。1月21日には大妻で、李琴峰さん、劉靈均さんをお迎えしてミニシンポジウム「LGBTQ文学の表象―台湾と日本の最前線」を開催予定です。
 2022年度は、『台湾を知るための72章』、『臺灣書旅』を通じて、多く執筆者の方々にお世話になりました。出版物としてなんとかみなさまに届けることがかない、安堵しています。お世話になったみなさま、ありがとうございました。

北海道の光の中で

安藤恭子

 9月の北海道は晴天続きで、小高い丘から望む噴火湾の海と空の広さが眩しい。ウポポイ(民族共生象徴空間)の中にあるポロト湖(アイヌ語で「大きい湖」)も、イタオマプチ(アイヌ民族が使っていた舟)のほかには何もなく、空に光をかえしているだけだった……。
 ……ということで、今年のハイライトは、コロナ禍以降久々の遠出となった北海道研修旅行でした。この研修旅行の目的は、アイヌ民族の歴史・文化について理解を深めるとともに、先住民族の人権について現在どのような問題があるのか、札幌―白老―洞爺―余市―小樽―札幌という長距離をレンタカーで移動しつつ、実際の現場を見て考えることでした。
 余市・小樽は、ニシン漁で栄える一方で、場所請負制度によってアイヌ民族の窮状を生み出した地でした。虻田町は、有珠山の噴火によって多くの被害を受けた地で、和人や放牧していた馬の慰霊碑がすぐ建てられたにもかかわらず、アイヌの人たちの慰霊は長くおこなわれてきませんでした。アイヌ民族の遺骨を和人が盗掘した歴史を物語る「北海道大学アイヌ遺骨納骨堂」は、北海道大学医学部棟の駐車場脇にひっそりと建っていました。和人がアイヌ民族を支配し、差別し、貶めた歴史はそこここに刻まれていました。
 そうした旅の中で、洞爺町にあるバチュラー記念堂を地元のキリスト教信者の方に案内していただいたことも強く印象に残っています。アイヌの窮状を救おうとした宣教師ジョン・バチュラーとその養女となったアイヌの女性・八重子の足跡を、地元の方の視点から説明していただきました。この教会は、有珠山の噴火をまぬがれ、その建築的価値とともに今も当地のキリスト教信者の方たちの拠点となっています。八重子も弾いたという足踏みオルガンを弾かせてもらい、和人の圧迫と新しい西洋の文化とを身に受けた当時のアイヌ女性の心情・活動について、あらためて思いをはせたのでした。

教員近況

石川照子

 今年度前期はサバティカル(研究休暇)を取得することができ、昨年までよりは少し余裕のある時間を持つことができました。ただ、3年と4年のゼミは担当したので、毎週出校しておりました。
 研究については、引き続き2つの科研費研究グループの研究分担者として活動しています。その一つは日中戦争前後における日中両国の女性の交流と葛藤に関する研究です。もう一つの方は、作家田村俊子と日中戦争中に上海で刊行された雑誌『女声』の共同研究が最終年度を迎え、論文集刊行に向けて現在論文の修正に取り組んでいます。
 また、編者の一人としてこの数年取り組んできた、『論点・ジェンダー史学』(ミネルヴァ書房)が、今年度末に刊行を予定しています。既に刊行された『論点・西洋史学』『論点・東洋史学』『論点・日本史学』の姉妹編となります。120名の著者たちによって列女伝からジャニーズまで、古今東西のジェンダーに関する多様な項目が取り上げられています。とてもエキサイティングな内容となっていますので、是非一読して頂けると幸いです。

近況

井上淳

 2022年度いっぱいで、2期4年つとめたキャリア教育センター併任教員の任も終わります。1期目は正課キャリア科目のキャリア・ディベロップメント・プログラム(CDP)に、2期目はCDPに加えてキャリアデザイン諸科目にも携わりました。キャリア教育の専門家ではないにもかかわらず何とかつとめを果たすことができたのも、センター特任教員の皆さま、授業担当教員の皆さま、職員の皆さまのご支援のおかげです。また、課題解決型授業であるCDPでは、課題を出してくださる提携企業の皆さま、そして本学と提携企業とを引き合わせてくださる金融機関担当者さまのご支援が欠かせませんでした。
 在学生のみなさんはぜひ、キャリア科目を受講してください。というのも、沢山の社会人が真剣に関与しているだけに、どこかあるいはどなたかに魅力を感じていただけると思うからです。キャリアデザイン諸科目もCDPも、担当教員は学期の前後に集まって打ち合わせや振り返りをしています。CDPでは、提携企業担当者との打ち合わせが前年から始まり、1年半ちかくご一緒します。課題に対して学生チームがどのような提案をするのか、企業担当者は複数回授業に来て学生を見守ってくださります。
 履修を終えた方は、とりわけチーム作業中心のCDPではいろいろなことがあったと思いますが、ぜひ就業継続力セルフチェックシートを社会人になる頃に再度見返してください。何か発見があると思います。私も、企業入社直後にディスカッションをしては講評を受ける研修を体験しましたが、そこで受けた講評はその後のキャリア形成に役立ちました。
 OGのみなさん、授業で課題を出してくださる、後輩に話をしてくださる等、何かご提案があればご連絡ください。とくに、CDPでは様々な企業や自治体と提携させていただきたいので、皆様からのご連絡があると大変ありがたいです。
 この4年間、熱意のある方々そして履修者と交流することができ、とても刺激になりました。任期を終えても、自身でそういう場面をまた探すなりつくるなりしようと思います。

ヨーロッパでの建築調査

岩谷秋美

 この夏、実に3年ぶりとなるヨーロッパでの建築調査を果たしましたので、ご報告します。数年前から神聖ローマ帝国皇帝やヨーロッパ各国の王に関わる建築の研究に取り組んできたものの、この3年はコロナ禍により現地調査が叶わず、写真資料だけを活用する状況が続き、行き詰まりを感じていました。そして2022年夏、いまだ予断を許さない状況ではありましたが、できる限りの対策を講じた上で、フランスおよびドイツでの調査を決行したのです。短期間ながら、西はフランスのパリからシャンパーニュ地方を経て、東はアルザス地方、そしてドイツのライン流域に至るまで、数々のゴシック建築を巡りました。
 印象的な教会建築や美術館がたくさんありましたが、文字数に限りがありますので、ひとつだけご紹介いたします。パリのサント・シャペルです。この建築は、13世紀、セーヌ川に浮かぶシテ島の、かつて王宮だった場所に建てられました。外から見ると、こぢんまりとした、かわいらしい小さな礼拝堂です。しかし中に入るとその印象は一転し、光り輝く空間に圧倒されます。というのも、内部空間では石造部分が極限まで減らされ、壁のほとんどがステンドグラスになっているからです。西のバラ窓には新約聖書の黙示録が、東にはキリストの受難伝がステンドグラスに描かれました。時間とともに陽光の差し込む角度が変わり――朝は低く弱く、昼は強く――、空間は表情を刻々と変えてゆきます。光り輝く宝石のような建築です。
 私自身、サント・シャペルへはこれまで何度か訪れていますし、今年度の前期の授業でも90分かけて取りあげましたので、それなりに慣れ親しんでいるつもりです。しかし実際に空間の中に身を置くことで、実物の迫力を改めて感じました。柱やトレーサリーの造形、十二使徒を象った彫刻や艶やかなエマイユなど、細部へも興味が尽きません。見れば見るほど興味は増すばかりです。この礼拝堂については、比較文化学部の紀要に小論文を発表する予定ですので、もしよろしければご笑覧ください。
 3年ぶりのヨーロッパ調査、次に実現するのがいつになるかわからない切実さから、あれもこれもと予定を詰め込んでしまい、食事時間も節約する過密スケジュールで、ほとんど苦行の旅になってしまいました。けれど作品を観察し、その本質を探り、理解を深めるという、自分自身の研究の原点を見つめ直すことができました。

近況

上野未央

 数年ぶりに、夏休みに4年ゼミの「卒業論文中間報告会」を行い、3年ゼミ生にも参加してもらいました。3年生と4年生が知り合う機会がなかなかないので、交流できてよかったと思います。また、3年ゼミ生とは校外学習に出かける機会も数回ありました。そういった機会に、みんなが他愛のない話をして、楽しそうにしているのを見て、一緒に歩いたり、見学したり、お茶をしたりといったことが大事だなとあらためて思いました。私がイギリスに留学していた時、ゼミの休憩時間には必ずみんなで紅茶を入れて飲むことになっていたのですが、そういう時間にほっとすることで、ゼミ報告を乗り切ったかなと思うことがあります。私のゼミでも、たまに気楽な時間を作ることで、議論が活発になるという効果があるに違いない、と期待しているところです。
 卒業生が久しぶりに訪ねてきてくれたこともありました。大学の思い出話や最近の仕事の話など、話題は尽きず、楽しい時間を過ごしました。「学生時代は、単位を取るために勉強していたような気がする。もっとじっくり勉強しておけばよかった」という言葉が心に残りました。
 そのほか最近の楽しみは、演劇を見に行ったり、学生に勧められたドラマをみたり、といったことです。先日初めて、オンラインでしたが「お笑いライブ」も見ました。今度は劇場に行きたいなと思っています。

近況

江頭浩樹

 今年度は、コロナ禍の中、担当する授業のほとんどが、対面授業となりました。コロナ禍前で70名近い履修があった授業は、オンディマンドのまま継続しています。この授業は、受講生にしっかりと指定教科書を読んでもらい、参考資料を参照に知識を身に着けてもらうようにしています。受講生のみなさんがしっかりと学習していることが小テストの点数に反映されていて、頼もしい限りです。教育研究ですが、3年ゼミ、4年ゼミでは男女の会話分析をやっていますが、私の関心 —人間の本質の探究— とどのように結びつけるかが当面の課題です。男女の会話スタイルに原理の様なものがあるとするならば、それは一体何なのかを考えています。聞くところによると、人類は進化の過程で、「中性化」しており、現在も中性化の過程にあるそうです。中性化の行きつくところに、男性と女性の会話スタイルの原形なるものがある可能性があるのではないかとおぼろげに考えています。

オーストラリアの女性誌/史

加藤彩雪

 今年度は昨年に引き続き、オーストラリアの女性参政権運動について「女性誌」に注目をして研究を進めました。特に注目したのは、ルイーザ・ローソンという女権活動家の書いた『あけぼの』(The Dawn)という雑誌です。この雑誌は今日まで、全くと言ってよいほど見逃されてきました。この『あけぼの』こそが、オーストラリアで初めて女性の手で出版された雑誌だったにも関わらず、しかも、その内容は同時代の北半球の女性たちが書いた論説に相似しそれに決して引けを取るものではなかったにも関わらず、今までほとんど光が当たって来なかったのは、とても腑に落ちないことだと思いました。故に、彼女の功績を掘り起こし、「再」評価ではなく「新」評価の契機を作るような研究を行いたいと思うようになりました。
 驚いたことに、実際に『あけぼの』を手に取ると、ルイーザは女性参政権獲得を唱えながらも、雑誌のほぼ半分を「家庭生活」に関する記事に割いていたことが分かりました。これは、家庭生活の賛美という意味ではありません。彼女は、料理、病気、そしてファッションに至るまで、日々の生活に関する記事を書くことで、自国の女性が日常を「快適」に過ごす一助になりたいと願っていたのです。政治的な動向を取り上げながらも、南半球という西洋とは異なる風土の中でいかに楽しく快適に女性たちが生活を送ることができるのか、真剣に詳密に書き綴ったこの雑誌は、自国の女性たちを思いやる「やさしい」雑誌だったのです。そこには、イギリスからの独立という歴史的背景も複雑に絡んでいるのですが、他者を「ケア」することを目的に据えたルイーザの執筆活動は、どこかイギリスのヴァージニア・ウルフを連想させるところもあり、まだまだ掘り尽くされるべき魅力がたくさんありそうです。来年の課題としたいと思います。

近況

城殿智行

 この文はコロナ禍3年目の2022年末に記します。日本は現在も多くの感染者と犠牲者を生みつづけ、多くの人が依然としてマスクを着用していますが、社会生活と人々の意識は、ほぼ平常に戻りつつあるように感じます。カタールではサッカーのワールド・カップが開かれ、日本チームの勝敗に多くの人間が一喜一憂する日が来ることを、2年前には誰が予測できたでしょうか。
 来年度、2023年に卒業論文を執筆する4年生は、大学生活のすべてを感染症流行下にすごしたことになります。教員としては幸いなことに、今年度3年ゼミに参加して下さっている受講生の皆さんはとても熱心で優秀な方が多く、困難な状況をばねにして、素晴らしい卒業論文を提出し、充実した大学生活を送った、という気持ちを抱いて卒業してもらえるように、指導教員として努力したいと思います。

近況報告

行田勇

 2022年度は大妻に勤めて17年目でした。3年前、この近況報告で、私は最後に次のように書きました。
 「15というのはなんか区切りの数です。まあでも、だから特にどうってことはありませんが。ともかく平穏無事な1年でありますように。」
 相変わらず、こんな私の願いがかなわない日々が続いています。残念ながら、「ともかく平穏無事な1年」とはいきませんでした。
 しかし、悲観的なことばかりではなかったような気もします。災い転じて福となすこともたくさんありました。コロナ禍の中、私自身が感染せずにこの1年を過ごせたことだって幸せなことです。そういうわけで、昨年に引き続き「良いことも悪いこともいろいろあった1年でした」という近況報告にしておきましょう。
 さて、2023年度は大妻に勤めて18年目となります。野球に例えるとエースナンバーです。今度こそ平穏無事な1年を過ごしたいものです。
 毎年恒例の自転車日記です。CAAD10 の1号機(通称「本郷猛」くん)に乗って、真鶴まで走ってきました。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に触発され、源頼朝が石橋山の合戦に敗れて安房に逃れた岩海岸を訪れようと思ったからです。ところがきちんと調べずに行ってしまったため、真鶴岬の三ツ石海岸まで行ってしまいました。やれやれです。

近況

久保忠行

 今年度から、日本文化人類学会の学会誌『文化人類学』の編集委員を務めることになりました。1年間に4巻刊行されるため、論文の質を保ちつつも掲載可能な論文数を確保することが課題です。大学院に進学する学生が少なくなり、若手研究者の苦境が続くなかで、この問題は文化人類学会に限ったことではないかもしれません。
 どの学会誌にも、投稿された原稿を査読するというプロセスがあります。査読とは、他の学会員が匿名でおこなう原稿確認のことです。査読者は学会誌の掲載にふさわしいかどうかを確認し、掲載の可否を判断したり原稿の修正事項を提案します。多いときは毎日のように査読結果の審議のメールが飛び交い、編集委員長はたいへんだ、と震えあがりました。
 査読者と執筆者との粘り強いやりとりで学ぶことは多くあります。そうしたやりとりが可能になっているのは、査読のガイドラインに「査読は対話的であれ」ということのほかに次の点が記載されているからです。いくつかの理系の学会では「石を拾うことはあっても玉を捨てることなかれ」という査読方針が示されています。これを援用し、査読のガイドラインとして『査読者および編集委員会が「石を拾う」リスクを冒してこそ、学会誌の議論は活性化する』と定められています。かつて文化人類学会の査読は厳しいものでしたが、高い完成度を求めるがゆえの厳しい査読は学会の活性化にはならない、というものです。
 前置きが長くなりましたが、この原稿を書いている卒論提出直後のいま、卒論指導にも同じことがいえるように思います。卒論を書きはじめた頃には「石」にみえる原稿も、提出日が近づくにつれ、驚くべき深化をとげることが多くあるからです。もちろん「石」のような原稿を出してくる学生を指導することはリスクではありません。むしろその学生のなかに、どんな原石が眠っているのかを、ともに見つけ出すのが卒論の醍醐味だと思います。
 このようなことを考えながら思い出したのは、過去の卒業生が、苦労して卒論を仕上げた後に私にかけた何気ない一言です。「先生、これからも私のようなバカを見捨てないで下さいね」。彼女の卒論は、自分は会ったこともない戦死した曾祖父の軌跡をたどるべく、フィリピン戦の資料にあたり、曾祖父が出港した広島港にも足を運ぶなど、多くの努力のもと書かれたものでした。彼女がいう「バカ」とは、受験勉強や定期試験のような勉強が苦手という意味ですが、そのような勉強ができるからといってよい卒論が書けるとは限りません。勉強は苦手でも(そんな勉強は苦手だからこそ)、よい卒論を書ける学生もいます。卒論は、先行研究との対話、自分との対話、教員との対話、ともに卒論に取り組む学生同士の対話の積み重ねで書かれていくものだからです。
 また査読者と執筆者とのやりとりで私が学ぶように、私と学生とのやりとりを傍目でみることで得られるものもあるはずです。「教えてもらうのではなく見て盗め」という徒弟制のような教育は、昨今推奨されていません。しかし「他山の石」という言葉があるように、関係のないと思える事柄も自身の糧になるのだ、ということもゼミでの学びの大切な部分ではないかと思います。「石」もまた、とらえ方と文脈次第で異なるものにみえてきます。そのようなことを編集委員の仕事をとおして考えた今日この頃です。

4月に着任いたしました

酒井雅代

 2022年4月に着任いたしました、酒井雅代と申します。日本史(日本近世史)、日本と朝鮮半島の関係史を専門にしております。
 授業では、日本史・日本文化を中心に、日本と世界(とくにアジア)とのかかわりを、最新の研究動向もふまえながら一緒に見ていけたらと思っています。
 ゼミは、日本史を深めたい人も大歓迎なのですが、やはり韓国関連に関心がある人が多いですね。音楽や映画、メイクやファッション、食べ物など、韓国のものがほんとうに身近にあるのだなと感じます。そこから、背景となる歴史や文化にまで関心を持ってもらうためにはどうしたらいいか、試行錯誤しています。
 個人的には、2年ぶりに渡韓できたのも良い思い出です。コロナ禍がもう少し落ち着いたら、学生のみなさんとも一緒に行けたらいいなと思っています。連れていきたいところがあちこちありますし、逆にみなさんから教えてもらって知ることもあるだろうと、今から楽しみです。
 ともあれ、学生のみなさんが、大学生活を通してさまざまなことを学び、飛躍していく手助けができるように、私も日々努力を重ねていきたいと思います。

研究へ戻るためのリハビリ中です

佐藤円

 学部長も4年目となり、今年度末で2期目の任期が切れます。はたして在任中にうまく仕事をこなせたのかどうか心もとないですが、管理職からは卒業させていただきます。学部長に就任した2019年度は、そもそも学部長って何をやる人だろう?と他学部の学部長を見ながらOJT(on-the-job training)の日々でした。そうこうするうちに2020年度からは新型コロナウイルス感染症の流行が始まり、以来このような未曾有の事態に学部長って何をしたらいいの?と手探りの日々を送ってきました。初めて起こる様々な出来事への対応力を問われたという点では、大変人生勉強になりました。多少は賢くなったかなと、ただいま自己点検中です。人間いつになっても勉強が続きます。
 ただそうは言っても、学部長をあたふたやっている間にまた歳をとってしまったことは否めません。この先どれくらい人生勉強ではない方の勉強(研究)をする時間が残されているのだろうと不安になってもいます。まさに未覚池塘春草夢、階前梧葉已秋声(未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉すでに秋声・・・うっかり春に池のほとりの若草のなかで居眠りなんかしていたら、いつのまにか庭先のアオギリには秋の気配が漂っていた)の心境です。そのようなわけで、今年度はまだ学部長の任期中ではありましたが、時間をつくって少し勉強を再開し、アメリカ史学会の年次大会と北海道立北方民族博物館での国際シンポジウムで報告をしました。おろそかになっていた研究へ戻るためのリハビリをやっているということです。

近況

佐藤実

 最近、漢詩がついたおみくじをゼミで読み始めました。元三大師(がんざんだいし)みくじと呼ばれるもので、浅草寺や調布の深大寺のおみくじが有名です。大学の近くにも元三大師みくじが引ける神社があり、ゼミ生たちと一緒に引きに行き、各人が引いたおみくじをテキストにしています。
 その漢詩部分(五言絶句です)は中国の13世紀頃にはあったおみくじを元にしていて、それと比較しながら、辞書をひきひき検討します。訓読してしまうと失われてしまう漢詩のリズムにも注目したいので、中国語の音でも読んでいます。
 またおみくじの内容を示す絵が付されていて、すぐに意味がわかるものから、一見すると何を表現しているのかわからないものまで、絵解きもたのしいです。
 個人的には、漢詩を7音+7音のひらがなで意訳(横山悠太さんのご提唱)するのにはまっています。たとえば22番・吉はこんなかんじ。

   漸漸濃雲散 しだいしだいに こいくもはれて
   看看月再明 みるみるうちに またつきあかり
   逢春華菓秀 はるのおとずれ はなみなひらき
   雨過竹重青 あめのあとには たけあざやかに

どうでしょう?
 ところで、先日、4年ゼミの学生たちと大学近くのレストランで食事会をしました。卒業論文提出の打ち上げです。彼女たちは1年生のときは普通に授業を受けることができましたが、2年、3年はオンラインになってしまい、3年ゼミのときは一緒に食事をすることが一度もできませんでした。
 ゼミでは発言しにくくても、食事をしながらだと皆んな気楽に、そして楽しそうに話していました。ゼミでもこういった雰囲気でやることができたらなあと思ういっぽうで、教室の外での活動は必要だなとあらためて実感しました。

近況

Johnson, G.S.

 数年ぶりに国際学会での論文発表を申請しました。コロナ禍になって初めてオンラインで発表することができるようになりました。オンラインは学問にとても役に立ち、授業、会議、学会などで用いた場合には時間と費用を節約することができます。学生たちにもオンライン授業は人気があり、私は今年も2科目をオンデマンドで行っています。
 私の学会論文のテーマは、日本における身体障がい者の教育史です。1923年の関東大震災の影響による怪我や病気に焦点があたり、特に子どもたちへの救援活動の機運が高まりました。それにともない、障がいのある子どもたちの教育の機会が増えました。 イノベーションは、子どもたちの教育とヘルスケアを通じて確認することができました。それにもかかわらず、軍国主義の増大は、障がい児に対する偏見と差別を最終的に激化させました。教育の歴史においては非常に複雑で興味深い時代だと注目して研究しています。

近況

銭国紅

 2022年を振り返ると、コロナ対策が日々変化する内外の状況に応じて絶えず調整する一年でした。12月現在、欧米ではノーマスクの外出が普通になり、日本でも、外を歩く時、マスクなしでも良いという政府の指示があったが、満員電車、通勤途中の街では、まだマスクありの状態が続いているようです。一方、来年度、私はサバーティカル関係で後期の半年間、東京を離れ、あちこちに出かけるつもりでいますが、例えば中国には、2019年度以降、渡航できないままになり、つい最近までゼロコロナ政策のために、入国できるかどうか、悩むばかりでしたが、2022年12月に入り、政策転換で緩和の方向に動いたのがホッとするところです。コロナ禍以来、実行できなかった研究調査や訪問などが普通に再開できればと楽しみにいたしております。
 コロナ禍で現在でもマスクのままで授業しているが、この間、久しぶりに、論文指導のために、ゼミ生とオンラインで、マスクなしでの会話をした時、声は聞き慣れていますが、表情などは新人の学生を見たような印象を一瞬で持ったことに、びっくりしたのを覚えています。
 授業の他に、22年度に2年ぐらい前から作業をし続けてきた旧稿を纏めた本(『国家の想像と文化自覚―日中グローバル化の史的研究』汲古書院)の上梓も、私にとって、一大仕事でした。500頁を超える分量の学術日本語を母国語以外で書く私にとっての厳しさは、大幅予想を超えるものでした。文章や文字に3校まで何ヶ月をかけて加除訂正の作業をした時の辛い記憶は、今でも時々蘇ってきます。また現在は授業でよく取り上げられる現代中国の価値観事情の話を、高校生や大学生が読みやすいように一冊の本としてまとめようとしているが、コロナ禍で国と国の間を跨ぐ人が急減する中、異文化に対する知的飢餓を感じ始めている若者たちの一読に役立つことがあればと願いつつ、作業を続けているところです。

近況

高田馨里

 1年間の国内研修を終えて2022年度より授業や校務に復帰しました。授業も専門科目は対面授業に戻り、ライブ感のある授業を展開できたかなと考えています。やはり、受講生同士で一緒に作業したり、ディスカッションできたり、対面授業のいい部分を共有できたのではないかと思います。一方、コロナ感染症のため海外出張が難しい状況となりましたが、逆に研究会や学会などオンライン化が進みました。zoomやwebexなどのツールを用いて海外の研究者との共同研究も進んだのも印象深い1年でした。現在、20世紀初頭から1950年代に至る航空技術の発展とモビリティ(airmobility)の問題について、そして冷戦期における国際民間航空の歴史についての国際共同研究を行っています。形になるのはこれからですが、世界中の研究仲間としっかり成果を積み上げていきたい、というのが近況です。
 また多摩キャンパスの時代から始めたバードウォッチングも継続して楽しんでいます。皇居周辺には鷹もいるし、お堀にはカワセミも飛び回っています。夏鳥や冬鳥の入れ替わりも心躍ります。ついにルリビタキという美しい青い小鳥の撮影に成功しました。やったね!

教員近況

武田千夏

 フランス人の著名な歴史家のJゴデショがスタール夫人の『フランス革命についての考察』(1983)の序文を書いていた。その序文が私の研究の直接的なきっかけとなり、それ以来20年以上『考察』の思想分析と影響を研究してきた。当時『考察』と聞いてピンとくる人の数は少なかった。残念ながら日本では現在でもそのような状況が続いているが、研究を始めた当初それは英語圏でも同じだった。フランス語圏でも大西洋革命の視点から『考察』を取り上げたゴデショ以外には特に注目を浴びていなかったと思う。
 しかし今日『考察』をめぐるグローバルな状況は大きく変化しつつある。これまで『考察』と言えば200年以上に渡って唯一のバージョンと見なされてきた遺作を指した。それはスタール夫人の死後、二人の息子たちが自分達の政治的思惑を優先させて編集したものだった。ところが2017年に本国で編者が手を加える前のオリジナルバージョンが初出版された。一方英米圏でも18,19世紀の思想史、文化史でスタール夫人が言及されない著作を見つけるのが難しいほど多くの研究者が彼女の作品を引用している。
 そんな中Bloomsbury社によるHistory in Contextという研究者、一般読者向けの歴史研究のデジタルアーカイブ制作のための国際プロジェクトに関与した。このプロジェクトが西欧思想史の古典の一作として『考察』を選出し、私はその解説論文を書き作品の重要箇所を抜粋した。それに加えて英訳による『考察』の一部も閲覧できるよう現在準備を進めている。今回歴史学の古典として『考察』が取り上げられたことを感慨深く感じた。今日ヨーロッパはアメリカとは異なる国際関係、政治思想へのアプローチを持つが、その根底にはスタールも関わったフランス自由主義の思想の影響もあるだろう。『考察』がより多くの人々に読まれることを願っている。

今年の収穫

貫井一美

 2022年の師走真只中にこれを書いています。近況報告として嬉しかったこと二つ、お伝えします。
 今年も相変わらずのコロナ禍でしたが、一大決心というか、我慢できなかったというか、スペイン(マドリードだけですが)へ行ってきました。成田発でも、南回りでも構わない!このまま日本にいてはまずい!壊れる!と思いました。面倒なことはやりたくない私でも驚くくらいに面倒な手続きを乗り切って、3年ぶりにバラハス空港に着陸した時、足元からエネルギーが注入されるような感覚でした。1986年に初めて一ヶ月の語学留学、その後留学して、1992年にバルセロナ・オリンピックで滞在以来、毎年1ヶ月以上をスペインで過ごしてきました。それなのに2019年夏を最後に3年もの間、イベリア半島に上陸しない、という想像もしなかった日々が過ぎていました。
 初めてアラビア半島に上陸(トランジットでですが)、イスラムの土地を通過してイベリアの地に立つなんて!と少しワクワクしました。マドリードのあのまさに「抜けるような」⻘い空、あの⻘い空に一体幾度助けられ力をもらったことか、二十代半ばからヨーロッパの友人たちにどれほど助けられてきたことか、そのおかげで今の私があることを新ためて思い知らされた今年の夏でした。あそこでなら自分が本当に心から笑えて、元気でいられて、自分らしくいられるのだと知りました。もちろん日本も大好きです。けれども居心地の良い場所は自分の生まれた場所とは限らないのです。今、このコロナ禍で、大変な思いをされている卒業生も少なくないかと思います。居心地が良い場所はそれぞれに存在します。それは必ずしも国籍や故郷というものに縛られるものではないのです。どこにでも自分の住処はあります。自分の居心地の良い場所は必ずあります。自分が損なわれそうになったら、そのことを思い出してみてください。
 もう一つ嬉しかったことは二期生のスペイン語の学生さんからお葉書が届いたことです。この2年間、毎日が戦いの日々で人生最悪に自分ではないような日々を送っていた中で、とても嬉しいお便りでした。卒業して結婚して子育てしている中で何度も中断しながらもスペイン語を学んでいること、スペインへ一人旅してさらにスペインが好きになったことなどが一枚の葉書に細かい字でびっしりと書かれていました。あの頃、まさに自転車操業で授業するだけで必死だった私を覚えていてくれてその後の人生の中でスペインへの興味を育てていってくれたことに感謝感激でした。少しでも「種蒔く人」に近づけたかな、と。スペインへの思いと、この葉書が今年の私の二大ニュースです。

再開しましたか

米塚真治

 皆さん、自分が好きなイベントに足を運ぶのは再開しましたか?
 わたしはこの3年近く、全く行っていませんでした。ちょうどパンデミックが始まった頃に、ミュージアムガイドに寄稿する機会がありました。「あー、これはしばらく行けなくなるな」と海外の様子を見て思い、休館前ギリギリに、各館を回って実地確認したのが最後でした。
 原稿を送ったあと、ガイドの件は音沙汰がなくなりました。「時節柄、こういう出版物はお蔵入りかなー」と、ちょっとがっかりし、そのうちに毎日はオンラインの仕事で埋まってしまい、「週1は美術館」「月2はコンサート」みたいな時間を以前はどうやって捻出していたものか、そんな生活が想像すらできなくなりました。
 最近になって、意外にもミュージアムガイドの企画が再開し、校正刷りも出てきたところで、止まっていた時間が再び動き出したような気になりました。今週(12月中旬)、ガイドの原稿でも触れた写真家・川内倫子の個展に行ってきました。また、ぼちぼち出かけたいと思います。

2022年の世界

渡邉顕彦

 今年はようやく海外に出やすくなってきたのと、いろいろ頼まれたり自分で申請した学会発表もたまっていたのでこれを書く時点(12月半ば)で3か国を見てくることができました。6月と9月にイタリア、8月にはベルギーとオーストリアに行ってきました。また来年春は学部のヨーロッパ文化研修をギリシャで行う予定で、今年度中にもう一度イタリアに行く可能性もあります。夏のオーストリア研修には学部生3名、大妻の大学院生1名が参加し、向こうの方々とも楽しく交流ができました。
 いろいろな国に行くと、同じヨーロッパでもコロナ感染の対応が異なることがわかってきます。人的交流再開に積極的な国とそうでない国が同じ地域内にあり、お互い批判する声もたまに聞こえます。また中継地としてよく通るドバイの空港は夏以降、一気に混雑してきた感じがあります。飛行機の席も6月まではかなり空いていましたが、夏本番以降満席のことが増えました。
 国内でも国外でも、学会における対面交流が増えてきたことはうれしい限りです。9月のイタリアの学会には韓国の学者たちも来ており、古都シエナの街並みを一緒に見学できたことは夏の終わりの良い思い出になりました。またあるヨーロッパの人は、近くロシアの学会に出席する予定だがどこから入国すれば良いのか悩んでいると話していました。一刻も早く世界が常態に戻り、平和と正義が回復されるようにと祈るばかりです。