高田ゼミ

GSは商業主義のアダバナだったのか?―グループサウンズ文化再考―

小宮沙祐里

 1960年代後半は、公民権運動・学生運動・ベトナム反戦運動など、若者が既存の価値観に対抗する動きが世界中で見られた。日本でも安保闘争や学生運動などといったように若者のエネルギーが爆発したが、控えめな日本人が大勢で声を挙げて主張する光景は、現代の私たちには幻のように映る。音楽における日本の若者のエネルギーは、日本独自の若者音楽文化であるGS(グループサウンズ)に向かった。しかし、1967年頃から空前絶後の人気を巻き起こしたGSブームの期間は約3年と短く、現在では懐メロとして消費されるだけで多くを語られない。GSは60年代のエネルギーの中でしか通用しない商業主義の“アダバナ”だったのだろうか?本論では、GSに焦点を当て、そのブームと商業主義批判について考察する。さらに、60年代の革新の時代の中でGSが創出した新しい文化を考察し、再評価したい。
 第1章では、GS誕生のきっかけであり、彼らが憧れた欧米ロックバンド“ビートルズ”の誕生から来日までの歴史を辿る。そこで、来日したビートルズに対する日本の若者の衝撃と憧れの背景を理解し、ビートルズに影響を受けて日本人が生み出したGSの流行現象について言及する。ビートルズを超えるほどの人気を得たGSのブームが短命に終わるのは、少女ファンの行き過ぎた熱狂ぶりを危惧した大人たちのGS弾圧と、ブームによる活動の商業化にGSメンバーが抵抗を示し、脱退や解散が続いたことが背景にあったのだ。
 第2章では、GSに対する商業主義批判が、“学生運動を担っていた若者とロック好きの若者”によるものであったことに言及する。60年代の異議申し立ての時代に商業的な要素が強かったGSは、知性と主体性が欠如しているように彼らの目に映り、批判の対象となったのである。しかし、南田勝也(2001)のロックを定義する3つの指標を援用してGSを分析した結果、初期のロックンロールで重要な魅力であった“客を楽しませる要素”をGSが体現し、ロックを日本人にとって身近にしたことが明らかになる。つまり、GSの商業的な面はロックに必要な要素であり、「悪」ではなかったのだ。しかし、欧米のロックの“音”に強い憧れがあった日本のロック好きとは嗜好が異なったため、対立をもたらしたのである。
 第3章では、1960年代という革新の時代の中でGSが創出した文化について考察する。まず、GSは現在のJ-POPに繋がる「日本オリジナルの音楽の創出」に貢献したのである。特に、GSブームの到来によってフリー作家の活躍の場が広がり、レコード会社に存在していた専属作歌制度を崩壊させたことは、その後の日本の音楽をバラエティ豊かなものにしたのだ。次に、GSの斬新な衣装が、「男性におけるジェンダー観の多様化」をもたらしたことについて言及する。中性的アイドルの代名詞ともいえる沢田研二のビジュアルを中心として作られたGSの衣装には、女性的な要素が取り入れられたのだ。GSの後もソロとして活躍した彼が、ジェンダーレスな衣装とメイクを施して音楽活動を行ったことは、日本における男性のジェンダー観を多様化させたと考えられる。最後に、GSが「男性アイドルの誕生」に大きな影響を与えていたことについて言及する。男性アイドルの象徴的存在であるジャニーズの、“求められる世界観を演じるアイドル”という価値観は、GSの商業的な側面を引き継いだものだったのである。また、“王子様・中性さ”という男性アイドルのメジャーなコンセプトは、GSの沢田研二が体現した世界観だったのだ。このようにGSからアイドル性を吸収したジャニーズは、現在世界でポピュラーな存在として浸透しつつあるK-POPにも影響をもたらしたのである。