渡邉ゼミ

仏像とギリシャ彫刻の伝統

脇坂紅音

 この論文の目的は、インドのガンダーラ仏、中国の仏像を辿り、日本の仏教美術に伝来するまでの仏像の伝来の歴史と、ギリシャ彫刻とアジアの仏教美術の関連性について考察することである。まずギリシャの技術がどのようにアジアにもたらされたのかを理解するために歴史的背景を調べた。そのうえでギリシャの東端にあるバクトリアのコインと地中海地域のギリシャコインを比較し、それぞれの製造方法と文化を考察した。また、仏教の歴史、ガンダーラ仏の造形的特徴を、ミホミュージアムの仏立像を例として用いて詳述した。その後、中国の仏像と日本に伝わり広がるまでの時代ごとの仏教美術の特徴について調べた。さらに滋賀県のミホミュージアムと上野の東洋館を実際に訪れ、それぞれの博物館の展示目的やミホミュージアムの宗教的特徴にも触れながらアジアの仏教美術とギリシャ彫刻にどのような関連性があるのかを紐解いていった。
 第1章の「はじめに」では、博物館展示や講義を受講した事で私が仏像に興味を持つようになったきっかけや、このテーマを書くことを決めた動機について述べた。
 第2章ではギリシャ彫刻が暗黒時代の後、アルカイック期からクラシック期までにどのような変遷を遂げたのかをクーロス像(青年像)とコレー像(女性立像)に注目し考察した。また、アレクサンドロス大王の東方遠征によってヘレニズム時代にはギリシャ文化とオリエント文化が結びつけられ、中国、日本に仏像が伝わるまでの経緯と、大王の生い立ちについて述べた。
 第3章ではゴータマ・シッダールタによる仏教の始まりを述べた。無仏像時代にはストゥーパと呼ばれる仏塔が3世紀頃には造られ始め、クシャーン朝にはカニシカ王によって仏像を造る事が推奨され、貨幣に仏像を刻まさせるなど、王は仏教を手厚く保護していた。3.2ではガンダーラ仏の髪型、姿勢、光背に着目した。仏陀の特徴として頭頂の隆起が上げられるが、当時の人々の価値観により、ウェーブのかかった長髪をまとめあげるという表現がなされている。姿勢は奥行きが乏しく正面性を表しており、これらのことを実際にミホミュージアムで見た仏立像を用いて考察した。3.3ではギリシャコインとバクトリアコインを比較した。どちらも表面に肖像が、裏面に信仰する神像が刻まれるなど、細かな違いは見受けられるものの、似た製法と形式が取られている事が読み取れた。
 第4章では中国の仏像と日本の飛鳥時代から平安時代までの仏像の伝来と歴史を述べた。4.1では唐ー宋の時代に日本に仏像が伝わるまでの仏教の歴史を辿った。北周の時代に宗教弾圧が起こるが、転じて隋の時代には無差別平等の仏教が推し進められた。中国の仏像制作の歴史を辿ると香木を用いている事が日本の仏像との類似点である事が分かる。4.2では飛鳥から平安時代の日本の仏像の背景を述べた。中宮寺半跏雌雄像を取り上げ、実際に宮城県美術館で拝見した印象を述べた。白鳳時代には新羅を始めとする朝鮮半島との交流があり、大陸の文化が流入した。奈良時代になると国家の中央集権化が進み、平安時代になると仏教が国教になっていく。4.3ではそれぞれの時代の仏像の特徴を述べた。飛鳥時代の仏像はアルカイックスマイルが取り入れられているがギリシャ彫刻、北魏様式でも見る事ができる特徴であることが分かった。
 第5章では滋賀県にあるミホミュージアムに実際に訪れ、神慈秀明会の関係、博物館のコンセプト、建築、農法などに見られる特徴を述べた。また上野の東洋館も訪れたので、2つの博物館を比較して論じた。