佐藤実ゼミ

国立国語研究所の「外来語言い換え提案」について

矢島杏優

 外来語が世の中に氾濫し、あちこちに意味の分かりにくいカタカナ語があふれかえっている状況の中で、2000年にはいって国立国語研究所の外来語委員会は「外来語言い換え提案」を発表している。本稿では、この国立国語研究所の「外来語言い換え提案」を取り上げ、その提案の意義について考察した。
 第1章では、日本の外来語政策について概観した。国の言語政策においては、外来語問題はおもにその表記の整理を行なった程度で、軽い扱いであった。そのため、日本語の表記のゆれの中でも、外来語の表記のゆれはたびたび問題となった。また、外来語政策に対する姿勢を他国と比較したが、自国語観の違いや国の歴史的・経済的あるいは他のさまざまな事情により、外来語に対する言語政策と受け入れ方に違いが生まれてきていることがわかった。
 第2章では、日本人の「カタカナ語観」の変化について述べた。外来語の増加は、20世紀の日本語に生じた最も大きな変化であった。そこで日本人の「カタカナ語」観がどのように変化していったのかを、文化庁「国語に関する世論調査」や「意識調査」を通してみていった。外来語を「どちらかと言うと好ましいと感じる」人が減ってきている一方で、外来語に対して「別に何も感じない」人も増えているようにみられた。カタカナ語を使う人の年齢によって、外来語の使われ方もさまざまであるが、もはや今日においてカタカナ語も日本語としてなくてはならないものとして認識されているのではないかと考察した。
 第3章では、現代社会における外来語の実態を見据えた提案である国立国語研究所の「外来語言い換え提案」について述べた。近年、社会に馴染みが薄く、意味の分かりにくい外来語が国の省庁の行政白書や新聞など、公共性の高いものにも多く使われていることが指摘されている。このような状況を踏まえ、2002年8月より国立国語研究所に「外来語委員会」が設けられ、日本の社会に氾濫する外来語を検討し、必要であれば適切な言い換え語を提案するという試みが始まった。提案そのものが日本人のカタカナ語観を見つめるきっかけにはなり、日常生活のコミュニケーションについての問題意識を促したことは大きな収穫であったと考える。しかし、この提案は官公庁や報道機関を対象にしているため、わたしたちのような国民にはそこまで認知されていない。カタカナ語が氾濫する前の段階で、原語をその分野の専門家が検討し、言い換え語を世の中に定着させることは難しい。
 外来語の増加は日本語の表現を広げ、豊かにしてくれるであろう。ただし、外来語を取り入れる場合は、やはり国民にその意味を理解してもらう工夫が必要だと思う。その意味では「外来語言い換え提案」は公共性の高い場面でスムーズにコミュニケーションするためのものとして評価できる。問題はその言い換え語を実施、定着させる工夫ではないか。