卒業論文中間発表概要

「ライシテは死生観に変化をもたらしたか—日仏の比較から」

浅野陽香

(ここでは学会で発表したことに加えて、学会の場でいただいた皆様の貴重なコメントに対応しつつその後に発展させた考察も加えた)
 フランスではフランス革命後ライシテ(laïcité)が医療に取り込まれた結果、宗教的施設や自宅ではなく病院で亡くなる人々が増加した。わたしはこの点に注目して、ライシテが医療、倫理観などを通じてフランス人に及ぼした歴史的影響及び今日のフランス人の死生観について考察する。
 まず、フランスにおける制度としてのライシテについて、1789年の「人と市民の権利宣言」を契機としたライシテの歴史を、契機前のアンシャンレジームからその後の第三共和政期まで辿っていく。その中でもコンコルダートと政教分離の原則が今日まで続くライシテの精神的支柱であることを指摘する。
 次に、先に指摘した二つの大きな時期には医療のライシテ化も進んでいたことについて説明する。ナポレオンの築いたコンコルダ―トの時期には医療のライシテ化の根源となる制度がつくられ、理性や科学が宗教に代わって国民の死生観に大きく影響していくことになる。また、政教分離法が制定されたことによって、宗教的な役割も果たしていた病院は宗教から独立し、公共機関として国民に広く医療サービスを提供する場所になったことも指摘した。
 以上の歴史的背景のもと、現在のフランスでは死生観がカトリック的な価値観とライックな価値観に二分されている。さらに、フランス国民の間では多様な死に対する考え方が増加しているのにも関わらず、安楽死や尊厳死がフランスでは適用されないのは何故かについて、最近の実例を挙げながら考察し、国民の考えと法整備に距離があることを指摘した。
 最後に、「死」という人生の最期の場面はライシテ化された病院から始まっていくことから、死というものは公的な存在から徐々に私的なものへと変化していくのではないかという仮説のもと、ライシテが死にも影響しているのかについても考察した。そして国家体制として存在するライシテ以外にも、私的空間に作用するライシテが存在するのではないかという疑問から、ルソーの『エミール』の心の宗教論を参照しながら、私空間のライシテがどこからきているのか、死生観にはどのように関わり合ってくるのかについても考察した。そして国民の大多数に影響を及ぼし続けるカトリック的考えが現在でも死を曖昧なままにさせていること、安楽死などに象徴されるライックな死を実現する上でも逆にライシテ化された医療が弊害になり得ることを、現代フランスにおける死生観に関する問題点として指摘した。
 結論として、ライシテが100年以上の年月をかけて国民の考え方や価値観に大きな影響をもたらしたのは明白である。その結果、私空間に存在するライシテが誕生し、その私空間におけるライシテこそが死に対して効力を持つようになった。以上の考察から、最終的にフランスにおいてライシテは死生観に影響していると結論付けた。