安藤ゼミ

<産女>伝承にみる生命観―妊婦・胎児への認識をめぐって―

入澤萌音

 日本では古くから現在に至るまで、「妖怪」を題材にした作品が多く生み出されてきた。しかし、現代においての妖怪は実在的に意識されておらず、架空の存在のカテゴリーとして解釈されているのである。かつては妖怪の実在が信じられ、人々の生活に深く関与していた。本論文では、亡くなった妊婦の妖怪である「産女」をテーマに、歴史的に見て、人間にとっての妊娠・出産に対する認識・価値観を検討する。そのうえで、「産女が信じられていた当時に、胎児や妊婦はどのようにとらえられていたのか」という疑問について考察する。
 第一章では、産女伝承や関連しておこなわれていた習俗の概要、さらには、産女が中国の影響をうけて変容したことを取り上げた。伝承のなかでの産女は、産むことができなかった子どもを抱えた姿で現れる、出産できなかった無念を言いあらわすといった特徴をもつ。産女は、当時の人々の習俗と結び付けられながら、その存在が信じられていた。また、産女は江戸時代になって中国の「姑獲鳥」と混同されるようになり、図像の面でも鳥のイメージが付与された。
 第二章では、日本の歴史のなかで胎児がどのように扱われてきたのかについて論じた。胎児は神仏の世界からやってきた存在であり、年齢や儀式に伴って人間の世界へと移行すると考えられていた。こうした生命観にもとづき、堕胎や間引きがおこなわれていたのである。戦後になっても「家族計画」のための人工妊娠中絶はおこなわれ、家族計画が実現してようやく道徳的に問題視されるようになった。
 第三章では、出産の変化、さらにそのなかでおこった女性及び妊婦への眼差しの変化を概観した。戦後のアメリカによる近代化政策は医療の発展をもたらしたと同時に、人々の伝承的観念を薄れさせた。穢れや女性蔑視は家父長制による影響が大きく、法整備に伴って新しい価値観が生まれることになる。
 人間の力を超えた不可思議な現象において、人間にとって好ましくないものと分類されたものこそが「妖怪」であると考えられてきた。女性・妊婦は穢れと結び付けられた結果、好ましくないものと考えられ、妖怪との結びつきを強めたと推測できる。しかし、産女という妖怪の存在は、単に妊婦と穢れを結び付けただけで生まれたものではないと考えられる。出産に際して妊婦が亡くなるケースは当時決して少なくなく、産女の存在は、妊婦の死という避けるべき事態に対する恐怖から想像されたものであった。産女という妖怪は、妊娠出産への人々の危惧から成立したと考えられるのである。
 さらに、産女には産死者に対する人々の想像が反映されており、その想像を介して胎児にも眼差しが注がれるようになった。近代以降、堕胎や間引きは人工妊娠中絶にかたちを変えながらもおこなわれ続けるが、産女伝承は胎児にも生命があるという問題を可視化することにも寄与している。
 産女という妖怪の存在は、妊娠・出産という普遍的な事柄への当時の価値観を象徴的にあらわしており、妊婦と胎児という二つの生命への眼差しを示してくれるのである。