佐藤円ゼミ

キングの非暴力主義とマルコムXのブラック・ナショナリズムー善と悪の二項対立を超えて

小園千陽

 本稿では、1960年代アメリカにおいて活躍したキングとマルコムXの、「キング=善、マルコムX=悪」といった一般化した二項対立関係について、必ずしも両者はそのような単純な関係にあったとは限らないことを明らかにしようと考え、キングの人種統合思想・非暴力主義と、マルコムXの分離主義・暴力肯定の、それぞれの思想形成と実際の活動や発言に見られる戦闘性という観点から比較検討した。
 まず第1章では、キングの非暴力主義について、彼の非暴力思想との出会いと成熟を、彼を最も身近な面から支えたキリスト教的価値観に焦点を当てて考察した。そして、実際の活動が受動的抵抗から非暴力直接行動へと発展した経緯を説明した。それを踏まえて、シット・イン運動からバーミングハム闘争に着目して、非暴力直接行動の効果と弊害を考察した。その効果としては、黒人白人問わず誰でも参加できる多様性と、黒人の自尊心復活が挙げられるが、その一方で実際の暴力被害の大きさや、過度なリスペクタビリティといった弊害も挙げられ、キングの非暴力主義に備わっていた戦闘性が明確になった。
 次に第2章では、マルコムXの暴力肯定とブラック・ナショナリズムについて、彼の2度にわたる改心、すなわちNOI入信とNOI脱退後のメッカ巡礼を踏まえて、「人種問題」から「人権問題」へと、アメリカの黒人という枠組みを超えた視点を得た経緯を考察した。また、NOI時代の彼がどのようにキングや非暴力主義を批判していたのかを、キングよりも早い段階で垣間見えていた国際性に触れつつ分析した。そして、NOI脱退後の第三世界の革命家たちとの出会いが、彼のブラック・ナショナリズムを変化させる要因になったことを考察し、それまでのブラック・ナショナリズム的な分離主義的要素が薄まったことで、彼が第三世界の革命家と呼ぶにふさわしい思想に着地していったことを説明した。
 さらに第3章では、マルコムXにおける「黒人としての尊厳復活」や、キングにおける「白人との和解」「貧困層の権利獲得」といったそれぞれの目標の前提として、両者には「人間としての認知と尊敬」を取り戻すという根本的目標があった点と、両者ともに晩年には国際的視点を得ていた点において、共通性があることを明らかにした。それを踏まえて、社会一般に広がる両者の二項対立的評価が、「キング=平和的な非暴力主義者」と「マルコムX=暴力的な分離主義者」というステレオタイプに基づいていることを分析した。そして、実際の非暴力主義の戦闘性の高さと、暴力肯定の自衛的要素を再考し、必ずしもキングとマルコムXがそのような二項対立関係にあるとは限らないことを論じた。さらに、上記のようなステレオタイプが公民権運動の事実を歪め、キングを過度に伝説化する危険があること、そして黒人が抑圧され続けてきた長い歴史を無視する行為であることを指摘した。
 以上の作業を通して、「キング=善、マルコムX=悪」の二項対立関係について、両者には人種統合思想と分離主義、非暴力主義と暴力肯定といった手段の違いはあれど、階級や肌の色問わずすべての人々が「人間としての認知と尊敬」を取り戻すこと、つまりは人間としての尊厳復活という根本的な目標は共通していたこと、また実際の両者の活動や発言には、善悪という見方を覆すような戦闘性や自衛的要素が含まれていたことから、必ずしもキングとマルコムXを単純な二項対立関係で語ることはできないという結論にいたった。