井上ゼミ

独裁体制崩壊の可能性―市民とメディアに注目して―

大木みつき

 本研究では、過去に個人支配体制を採用していた国家を取り上げて、支配体制の展開過程を市民とメディアに注目して具体的な事例を検討しながら、独裁体制の崩壊に国民というアクターが関わる法則性を探究した。
 「アラブの春」やルーマニアのチャウシェスク政権崩壊の事例から、個人支配体制は支配者(パトロン)が独裁と専制によって体制維持を図るがゆえに、国民(クライアント)との関係が破綻すると体制が崩壊することがわかった。加えて、独裁体制は経済危機に脆弱である。インターネットを通じた情報化が進む今日では、国民はメディアを通じて国内、国外の情報を入手し、自分たちが置かれている状況を客観的に理解することができる。また、ソーシャルメディアを使用することによって、同じ思想を持つ他者と関わり合い、政府に対する不満を集結して反政府運動を起こすことが容易となった。
 現代においても反対勢力の政治社会への参入を一切許容しない北朝鮮、中国、ロシアの3カ国は、メディアが市民にもたらす影響力の大きさを十分に理解しており、情報統制を行なっている。中国は、国民がインターネットを通じて海外メディアとつながることが可能な現代において完全な情報統制を目指すのではなく、統制に力を入れる点と抜く点とを明確にしたうえで、自国だけでなく外国のメディアの動向まで追っている。現在でも中国で政権を揺るがすほどの大きな反政府運動が発生していないことを考慮すれば、この手法は独裁体制を維持するうえで非常に重要だと言える。
 逆に、北朝鮮では国民の思想動向や反体制的な動きを徹底的に監視している。しかし、この隙のない手法はひとつの統制に綻びが生じた途端、連鎖のように他の統制も崩壊していくことが近年の北朝鮮の動向からわかった。さらに、食糧不足が発端となり行動の統制がききにくくなる事例から、共産主義国家において食糧は最も基本的かつ重要な配給品であると同時に、国民を統制する最も重要な手段であることがわかった。
 ロシアでは大統領に権力が集中する政治体制を採用しており、現在もプーチンが対外強硬路線を取り続けている。ロシアは国民が「強い指導者」を求める傾向があるが、近年は中間層国民の「プーチン離れ」が進んでおり、彼らは民主的で自由な統治を期待している。さらに今日のウクライナ侵攻に対して反戦デモが発生し、国外からの情報流入や国民からの戦争への支持率が低下している事実を考慮すれば、プーチンが2024年までの任期を終え退任することは大いに考えられる。
 独裁体制が崩壊した事例が多く存在する理由として、私は人間の「自己保存の本能」が関係しているのではないかと考える。人間には「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という本能が生まれつき備わっている。自身の生活の困窮を打開しようと、メディアを通じて情報を知り、他者と想いを同期化するプロセスはまさに「自己保存の本能」が機能している。政府が徹底した情報統制を行なったとしても、国民一人ひとりの精神まで統制することは不可能であり、民主化を求める声を封じ込めることはできない。国民という予測不可能なアクターこそが、独裁体制崩壊のプロセスに深く関わる存在だと言えよう。