教員近況

対面授業のミステリー

安藤恭子

 コロナ禍にあって、オンデマンド授業が中心になってしまい、2023年度までは限られた学生の方としか顔を合わせることができませんでした。今年度、久しぶりにすべての授業が対面授業となり、これで元に戻れると心底ほっとしました。
 ところが、その一方、少々とまどうことも生じてしまいました。ビデオを観てもらうことやプリントを配布することなどオンデマンド授業では制約があり、その不自由さに苦心したわけですが、いざ対面授業が再開してみると、何をどのようなタイミングでおこなってきたかという記憶が簡単には蘇ってこないのです。身体に染みついていたものがすべて抜けてしまい、毎回自分の授業の「謎」を解いているような気分になりました。学生の方たちに伝えたいことを確認しながら、結局一から授業の構成を組みなおす始末。出席をとるための大学のシステムも、コロナ前とは違うものに変更されていて、どうにも落ち着きません。
 とはいえ、たくさんの学生の方たちと直接コミュニケーションをとれるようになると、教員をしている実感をもつことができ、それはとても楽しいことです。学生の方たちから、「オンデマンド授業では声しかわからなかったので、安藤先生は実在しない人のような気がしていた」と言われ、苦笑い。学生の方たちに、対面授業の方がやっぱりいいな、と思われるようにしていきたいものです。
 「謎」と言えば、ミステリー関係の授業をもとに、オープンキャンパスの模擬授業や高校への出張授業もおこないました。研究テーマである「日本文学・文化」、とりわけ、宮沢賢治研究とは一見関係がないようにですが、海外の「探偵小説」「推理小説」が日本の近代文学に与えた影響は決して小さくはありません。たとえば、宮沢賢治の『税務署長の冒険』という物語は、税務署長が探偵役になって村人たちの密造酒造りを摘発していく物語です。そのほかにも、宮沢賢治の物語には、<語り>の多様さなど海外から吸収した知見を活かしながら、新しい表現の可能性を切り開いていこうとするものが多々あります。
 海外と日本の関係を考えながら、また、多様な表現を楽しみつつ、日本文学・文化について今後も考えていこうと思います。

近況報告

石川照子

 昨年度から学生委員長と障害学生修学支援委員会委員を担当しています。授業の受講がいろいろな原因でスムーズに行かない学生に対して、授業担当教員に修学のサポートを御願いをしていますが、コロナ禍が沈静化しつつある中でも、対象学生は増えています。何か不安を抱えている学生の方は、一度学生相談センター(大学校舎C棟1階)を訪れて、話をしてみて下さい。
 そして、今年2024年8月には津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスで開催された国際女性史連盟(IFRWH)の東京大会に、運営委員の一人として作業に携わりました。39ヶ国、262名の参加者(半数以上は外国の方々)という国際イベントに関われたことは、大変貴重な体験でした(私が担当した東京湾の屋形船も、大変好評でした)。
 研究に関しては、今年は短期ながら香港を訪れることができました。民主化運動鎮圧後初の訪問でしたが無事調査を終え、香港在住の日本人女性の友人たちとも久しぶりに交流することができました。そして、現地を実際に訪れ肌で空気を感じることの大切さを改めて痛感しました。  とはいえ日本の中国研究者の友人たちの話によると、中国のアーカイブスでの調査は外国人のみならず、中国人も含めて史料閲覧が困難、或いは制約がかけられているとのことです。またフィールドワークは、外国人はほぼ不可能な状況となっています。ということでもっぱら手に入る文献資料を使用、あるいは中国人研究者のフィールドワークの成果を参照する形で研究せざるをえないというのが現状です。中国の今後の行方も心配ですが、日本の中国研究がどうすれば停滞を免れることができるのか、今多くの日本人中国研究者たちが考えているところです。
 そうした中で、私は長年科研費共同プロジェクトのメンバーとして、1920~40年代の戦争をはさんだ時期における日中両国女性の交流と葛藤というテーマで、研究を進めています。朝日新聞初の女性記者である竹中繁(たけなかしげ)に関する膨大かつ貴重な資料を、繁のお孫さんが保管されていて、幸いその資料を調査・使用することができたことが、このテーマにたどりついたきっかけでした。繁は多くの人々を結びつけるブリッジ的役割を果たした女性で、市川房枝、高良とみ、田村俊子、久布白落実、太田宇之助他多彩な人々との交流が記録されています。繁をはじめこうした人物たちの対中国認識はどのようなものであったかということについて、メンバーで検討を重ねています。なお、既に著書を一冊上梓していますので(山﨑眞紀子・石川照子・須藤瑞代・藤井敦子・姚毅『女性記者・竹中繁のつないだ近代中国と日本――一九二六~二七年の中国旅行日記を中心に』研文出版、2018年)、是非ご高覧下さい。
 現在は論文集出版の作業と並行して、資料の目録作りに励んでいます。というのは資料の中には著名人からの書簡やはがき等も大量に含まれていて(我が大妻の学祖大妻コタカからのものも数通あり、これらについてはいつか何らかの形で発表したいと考えています)、その資料的価値は大変大きいということが認められ、これらの資料が一括して千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に寄贈されることが決まったからです。そのための目録作りですが、寄贈した後には同館で資料に関する展示を計画しており、社会貢献という形でも研究を還元することが期待できます。
 最後に、比較文化学部では今年千代田キャンパスの文化祭期間中に、ホームカミングを開催し、多くの卒業生が参加してくれました。卒業生の成長した姿を見ることは、教員にとって大変嬉しいことです。まだ参加したことのない卒業生のみなさんも、是非次回は参加して下さい。

近況

井上淳

 担当委員会(委員長)の業務につぶされてしまわないように、昨年に引き続いて今年もまた、他の忙しさをあえてぶつけました。とりわけ今年は外部の人と接する機会を増やして、その結果よい出会いと経験をすることができた年になりました。以下、学部のなかでの活動に限定していくつか挙げさせていただきます。
 前期にはファシリティジャポン株式会社様と連携し、毎週水曜日夕方にワークショップを開催しました。ファシリティジャポン株式会社は、視覚や動作、認識で困っている方が快適にウェブサイトを閲覧することができるツールを提供するフランスのスタートアップ企業です。数年前から全学共通科目(キャリア科目)ではご一緒していたのですが、今年は初めて学部学生のみを対象にしてワークショップを開催し、デジタルの世界で取り残されない(あるいはデジタルアクセシビリティ)といった考え方が国内にさらに普及する方途を学生に提案してもらいました。学生の提案はどれもよく調査されたすばらしいもので、提案先として想定した企業・団体様からも評価していただきました。
 夏休みには、コロナ禍で実施できないままになっていたゼミ合宿を再開しました。3年生の合宿は研修と銘打って広島市や呉市などの諸施設を訪問、8月6日に広島市に滞在して市内の雰囲気を体感してもらいました。研修中にはマツダミュージアム様や株式会社晃祐堂様(熊野筆の工房)、つばめ交通株式会社様(貸切バス)をはじめ諸施設・団体の皆様、広島市で社会人として活躍する友人などのご支援を受け、充実した研修となりました。4年生の合宿はゼミ生自身が企画・手配し、伊豆高原で卒論準備合宿をとりおこないました。日中は卒業論文構想報告、夕方以降は運動やバーベキューでお互いの親交を深めました。最終日に海側の吊橋などへ散策に出かけたことも、よい思い出になりました。
 後期には、外務省の外交講座の枠組を利用させていただくことができました。国際機構について学ぶ授業(国際政治経済論)に職員の方をお招きし、日本外交と国連、国際社会でのキャリア形成などについてお話をしていただくことができました。授業中の質問数もかなり多かったですが、授業後も講演者に質問をする学生が多かったので、学生には刺激になったのだと思います。
 これらの活動は学部ホームページやインスタグラムにも掲載されています。来年も、色々行動して、学生の刺激になる機会をもうけたいと思います。在学生のみなさん、これから入学するみなさんは、来年以降に企画があればぜひご参加ください。卒業生や学外関係者のみなさま、もしご関心がございましたら一緒に何かを企画させてください。
 卒業生といえば、今年は卒業生と会う機会がとても多い年でした。忙しいなか大学の就職行事や用務のついでに立ち寄ってくださり、嬉しかったです。今後も機会があればぜひ大学にお立ち寄りください。そして後輩と交流していただけると嬉しいです。楽しみにしています。
 私自身の年齢を考えると、色々試してみる機会はそんなには残っていないなと実感しています。どこで何をするにせよ一瞬一瞬を大事にして、辛気臭いことよりも「それおもしろいな」と思うものを実現することに、より多くの時間と労力を割くことができたらいいなと思うこの頃です。

ウィーンのお菓子めぐり

岩谷秋美

 私が担当している1年生のドイツ語の授業では数年前から、ドイツやオーストリアのお菓子をテーマにしたテキストを読んでいます。そのため近年はウィーンに行くたびに、お菓子めぐりにいっそう気合を入れるようになりました。
 ウィーンのお菓子といえばまず思いつくのは、ザッハートルテでしょうか。濃厚なチョコレートとアプリコットジャムの組み合わせが絶妙な、ホテル・ザッハーの名物です。トルテには、甘さ控えめの生クリームがたっぷり添えられます。ホテル・ザッハーは、オペラ座のすぐ近くにある老舗ホテルです。オペラを見る前に立ち寄るのもお勧めです。
 ウィーンには、庶民的なお菓子もたくさんあります。たとえばこの夏、大聖堂広場でカイザーシュマーレンの屋台を見つけました。カイザーシュマーレンは、ちいさくちぎられた、ふわふわのパンケーキです。粉砂糖をふんだんにかけ、プラムなど果物のソースを添えて、温かいうちにいただきましょう。皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の好物だったため、カイザー(皇帝)という名前が付いたそうです。カフェで注文するとできあがるまでに時間がかかりますから、気を付けてくださいね。
 ドイツ語を勉強しているみなさんも、ドイツ語以外を学んでいるみなさんも、ウィーンに行ったらぜひ様々なお菓子を楽しみ、その背景にある文化や歴史に思いをはせてもらえたらと思います。

大妻教養講座の担当になりました

上野未央

 今年から、「大妻教養講座」という授業の担当になりました。大妻に入学したみなさんに、充実した大学生活を送ってもらうためにつくられた授業です。大妻学院の歴史や、大学生活で気を付けるべきことなど、様々なテーマの講義があるのですが、その中に、卒業生から話を聞く回もあります。今年は、全部で6人の卒業生にお願いし、それぞれに私がインタビューをする形で動画を作成しました。
 卒業生の方にお話を聞くことはとても楽しいことで、私自身も、それぞれの方のお話から学ぶことが多くありました。その中で、在学生に向けて、特に素敵なメッセージだなと思ったのは、「人生には思い通りにいかないこともたくさんある」ということだったと思います。
 たとえば、就職活動がコロナ禍と重なり、希望していた航空会社の客室乗務員の募集がなく、広告代理店に就職した方のお話をうかがいました。彼女は、結果的には今の仕事に就けて良かったと語ってくれて、「自分が手がけたことがカタチになって世の中に出て、それがSNSで話題になっているとやりがいを感じます」と言っていました。また、希望した企業に就職して海外出張なども経験したけれども、会社で働くのは合わないと思うようになってお仕事をやめ、現在フリーランスで働いている方もいました。彼女は「自分の好きなことはなんだろう、好きなことを仕事にしたい、と考えてきました」と話してくれました。また、在学中に、ある芸術祭のボランティアとして活動をはじめ、ホテルに就職してからも、その芸術祭に関わり続けた方にもお話を聞きました。彼女は、一度仕事を辞めてオーストラリアに留学し、帰国後は今のお仕事のかたわら、環境問題を考えるプロジェクトに参加しているということでした。
 「成功した話」ではなくて、挫折や失敗も含めて「今までどんな風にやってきたか」というお話をうかがうことができたことは、在学生にとって、よい学びになったのではないかと思います。他にも面白いエピソードがたくさんあって、ここで紹介できないのが残念です。来年も卒業生のお話を聞かせてもらうことを、私は楽しみにしています。
 今年はホームカミング・デーも久しぶりに開催され、卒業生のみなさんと会うことができたことも、嬉しいことでした。

近況

江頭浩樹

 今年一年は、物事をあまり落ち着いて考えることができなかったようなきがします。なぜでしょうか?仕事の効率も悪くなったような気がします。以前までは効率よくこなしていた卒論指導もぎこちなくなっているようです。なぜでしょうか?来年は、70%の力で最大限の効果を出すことを目標にしたいです。そして最後の詰めは、平常心で落ち着いて処理する。そして研究はMERGEに真剣に、そしてBoxにも積極的に取り組みたいと考えています。

2024年、楽しかったこと

加藤彩雪

 昨年は研究についてお話しましたので、今年は異なる視点から近況を語りたいと思います。 私は、数年前から保護猫を飼っています。元野良猫ということもあり、なかなか人間に懐かなかったのですが、今年に入りやっと心を開いてくれるようになりました。時間はかかりましたが、欠かせない家族になりました。ちなみに、サビ猫という珍しい種類の猫なのですが、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫そっくりです!
 また私は近年、永井路子氏の執筆した歴史小説や随筆を読むことを楽しんでいます。特に心に残っているのは、『山霧』というタイトルの毛利元就を取り上げた小説です。元就の調略についても興味を惹かれましたが、私は、戦国時代の女性たちが現代の私たちが想像する以上に政治にも関わっていており、それに使命感を持っていたという事実にも関心を持ちました。その様子を一言で表すには、「さわやか」という言葉が適しているのではないかと思いました。ぜひ、読んでほしい小説です。この言葉の意味を理解していただけるのではないかと思っています。

近況

城殿智行

 今年度まではヨーロッパ文化コースに所属していたのですが、2025年度からはアジア文化コースへ移動することになりました。個人的に希望したのではなく、学科内でアジア文化を担当する専任教員数が不足したためです。それに伴い、担当する授業も変わり、「アジア研究入門CⅠ・II(文学と芸術)」を新たに講義することになると思います。この文章を書いているのは2024年12月で、まだどのような内容の講義を行うべきなのか、迷っています。アジア文化コースに所属する2年生の必修授業なので、3・4年次以降の学習に結びつけられる内容を講義できればよいのですが。とはいえ、以前から比較HPに掲載しているゼミ紹介文でも書いていますが、映画に国境はなく、それは多様な文化を結びつける運動として存在してきたのですから、どのコースで授業を行っても、学ぶべき内容には変わりがありません。

近況

行田勇

 2024年度は大妻に勤めて19年目でした。昨年は、大谷選手のLA Dodgers入団会見を見ながらこの原稿を書いていました。あれから、もう1年が経ったという実感はあまりありません。月日はあっという間に過ぎてしまいます。
 『ケンブリッジ英語百科事典(原題:The Cambridge encyclopedia of the English language)』が、この11月に朝倉書店から無事出版されました。コロナ禍で翻訳に携わった書籍です。わからないところは関連の文献を念入りに調べ、何度も修正をしながら作業を進めました。それでも解決しない疑問点は、原著者のDavid Crystal先生に直接確認しました。世界的に著名な言語学者なので、緊張しながらメールを送ると、いつも直ちに丁寧なお返事を頂きました。30名以上の先生方が関わる大プロジェクトでしたが、日本語翻訳チームの一員に加わることができたことは、本当に貴重な経験でした。大学の図書館にあるので、ぜひ一度手に取ってご覧いただけると幸いです。
 毎年恒例の登山日記です。4月頃に膝を痛めてしまい、歩くのも困難な状況でした。その後徐々に回復したので、自転車で少しずつ長距離走行トレーニングをし続けました。もうそろそろ大丈夫だろうということで、北八ヶ岳にテント泊登山に行ってきました。初日は雲が全くなく、頂上からの大パノラマを堪能できました。夏に山の稜線があそこまでくっきりと見られるのは本当に珍しいことでした。ただし、翌日は朝から天候不順で、下山メシの「ほうとう」を食べる頃には大雨でした。山の天気は本当に変わりやすいですね。
 さて、2025年度は大妻に勤めて20年目となります。この記念すべき年ですが、ともかく平穏無事な1年を過ごしたいものです。

近況

酒井雅代

 今年度から、委員会を移りました。昨年度までは教務委員でしたので、履修相談など主に学生のみなさんと話をすることが多かったのですが、広報委員は、オープンキャンパスや文化祭・体育祭など大学のさまざまなイベントにかかわるので、学生のみなさんの、授業の時の真面目な姿とはまた違う一面が見られたり、高校生や保護者の方々とお話しする機会も多く、視野の広がる一年となりました。  また、昨年度から実施してきた韓国文化研修を、今年は学部主催で9月に実施し、4泊5日で韓国・ソウルを訪れました。その様子は、「留学報告03」をご覧ください。
 学生のみなさんには、在学中、実際に歩いて、目で見て、感じて、考えることで、自分の「好き」を深めてカタチにする力を身につけ、飛躍していってほしいと願っています。教員として、そういう機会を多く提供できたらと思っています。

ゼミの卒業生とアメリカ先住民の友人たちとの再会

佐藤円

 10月に卒業生を母校に迎える行事のホームカミングを行いました。その件を事前にインスタグラムでゼミの卒業生に呼びかけたところ、10人程の卒業生が参加してくれました。また当日は都合がつかないけれど別の日に学校を訪問したいと、15年以上前の卒業生から最近の卒業生まで、秋にはいろいろな人たちとの再会を果たしました。なかにはゼミや授業に参加してくれる卒業生もいて、現役の学生たちにいろいろとアドバイスをしてくれました。本当に感謝です。
 今年の個人的なニュースと言えば、なによりも5年ぶりにアメリカへ行ってきたということです。やはりそこでも多くのアメリカ先住民の友人たちとの再会を果たしました。以前と変わらずあたたかく迎えてくれる彼らと触れ合って、心が満たされました。8月にアイダホ州で行われるパウワウ(先住民の祭り)やニューメキシコ州のサンタフェで行われるインディアン・マーケット(工芸品の見本市)を見学することが目的の出張だったのですが、先住民文化が確実に継承され、発展しているさまが確認できました。社会的なマジョリティが文化を使って支配しようとするなか、マイノリティが自身の文化を使ってどのように抗うのか、その文化のせめぎ合いについて、これからも学生さんに伝えていきたいと思います。

最近食べたおいしいもの

佐藤実

 先日出張で盛岡に行ってきたのですが、そこで食べた冷麺とじゃじゃ麺をご紹介します。盛岡三大麺といって冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばが有名なわけですが、そんなに沢山食べたいわけではないのでわんこそばはパス。まず冷麺。
 ボクが入ったお店は注文があってから製麺するっていうからそこでまず驚いたんですが(注文があってから製麺するラーメン屋や蕎麦屋とかってそんなにないですよね)、盛岡冷麺おそるべしというか、ホントに麺がうまいんです。腰があるけどまったく硬くない食感。いやあえて柔らかいと言いたい(違うと言われるとおもうけど)。麺は硬めが良いという昨今の風潮に疑問を抱いているボクとしては、このしなやかな柔らかさに感動しました。
 そしてスープなんですが、ご存知のかたも多いかと思うのですが牛骨でとってるんですね。そして冷麺なんでもちろん冷たいわけですが、さっぱりしているけど深みのある味。全部飲み干しましたが、もっと飲みたく思いました。なんなら二日酔いのためにボトルにいれて持ちかえりたかった。こちらも、昨今の豚骨によるこってり、油膜による熱々の向こうを張るスープ。豚骨スープのお風呂につかりたいとは思いませんが、この冷麺スープならサウナのあとに入ってもいいかも。
 ということで、二軒ぐらいしかいけなかったので、また盛岡にいく機会があれば他の店で食べたいです。長々と書いてしまったので、じゃじゃ麺についてはまた今度。

近況

Johnson, G.S.

 過去 2 年間、私は日本の特別支援児童の学校教育の歴史について研究してきました。近代日本政府が発足したとき、教育は、国民個人の能力を向上させ、それによって国家を強化するために一時的に提案されました。しかし、軍事上の要請が教育上の要請を吸収し、目標は大衆訓練になりました。日本には、視覚障がいのある人が鍼灸やツボマッサージで治療を行うなど、特定の障がいを持つ人の能力を評価する伝統があったため、視覚障がいや聴覚障がいのある人のための教育は、他の障がいを持つ人のための学校教育よりも早く発展しました。肢体不自由の児童は適切な教育が遅れてしまいました。
 私は、身体障がいのある子供のための最初の学校である世田谷の光明学校を調査し始めました。この学校は 1932 年に小学生を教育するために設立され、現在は中学校と高校もあります。そこを訪問し、現職および元教員に学校内を案内していただき、学校の歴史について語っていただきました。学校、生徒、教員は歴史上、いくつかの障壁や差別を経験してきましたが、現在は非常に素晴らしい施設となっています。言うまでもなく、教員は生徒のさまざまな状況やニーズについて深い知識を持っています。多種多様な設備があります。私は時々車椅子を使用しますが、教員は私の車椅子についてコメントし、それらについてかなりよく知っています。もう 1 つ興味深かったのは、図書館を廊下にも広げて提供するというアイデアです。図書館はありますが、ドア枠を通り抜けるのが難しい人もいます。そのため、廊下に沿って本の棚が設けられています。その間、教員は時間を割いて学校の歴史について話してくれました。また、元教員がキャンパスに来て僕と光明学校について話しました。彼らの援助には感謝しています。

 For the past two years, I have been researching the history of schooling for special needs children in Japan. When the modern Japanese government was established, education was briefly proposed to improve the individual capabilities of citizens and thereby strengthen the nation. However, military imperatives absorbed educational imperatives, and the goal became mass training. Education for the visually and hearing impaired developed faster than schooling for other types of disabilities in Japan, because Japan had a tradition of evaluating the capabilities of people with certain disabilities, such as treating the visually impaired with acupuncture and pressure point massage. Physical needs schooling lagged.
 I began researching Komyo School in Setagaya, the first school for physically disabled children. The school was founded in 1932 to educate elementary school students, and now also has a junior high school and a high school. I was invited to visit. Current and former teachers guided me around the school and told me about the history of the school. The school, students, and teachers have experienced some barriers and neglect throughout history, but today it is a very impressive facility. Needless to say, the teachers have deep knowledge of the different situations and needs of the students. There is a wide variety of equipment. I use a wheelchair sometimes and the faculty members commented on my wheelchair and are quite knowledgeable about it. Another interesting thing was the idea of ​​providing a library for readers. There is a library, but some people have difficulty passing through the door frames. That’s why there are shelves of books along the hallways. Faculty members and former faculty members kindly took time to tell me about the history of the school. I am grateful for their help.

近況

銭国紅

 現在、大学での教育・研究活動において、充実した日々を送っています。週3日は学部生や院生向けの講義を担当しており、その内容は主に専門分野である日中近代化の比較研究に基づき、講義では、近代化の歴史的背景や社会的影響について多角的に考察し、学生たちが自らの視点を深められるよう、ディスカッションやプレゼンテーションを積極的に取り入れています。また、学生たちが歴史や社会の問題を現代と結び付けて考えられるよう、具体例や時事問題を交えて解説することを心がけています。
 一方において、複数学会にも積極的に参加しています。国内外の学会で研究発表を行い、他の研究者たちとの意見交換を通じて自身の研究をさらに深めています。特に最近では、日中両国の近代化における文化的・社会的な側面に焦点を当て、経済的な近代化プロセスとの相互作用を探求し、また、学会参加を通じて得られる最新の研究成果や議論を、自分の講義やゼミにフィードバックすることで、教育活動にも還元できればと思っています。
 これらの活動を通じて、教育者としての責任と研究者としての探究心を両立させることに努め、講義では学生たちに知識を伝えるだけでなく、彼らが自ら考え、発展的に学ぶ姿勢を育むことを目指し、また、研究活動においては、過去の歴史的事象を掘り下げることで、現在の課題への理解を深めることを目標としています。今後も、教育・研究の両面で成果を上げ、学問の発展と次世代の育成に役立つことができればと考えています。

協働の大切さを実感した1年でした

高田馨里

 今年も4年生ゼミのみんなと無事、卒業論文完成と提出までこぎつけることができました。研究とは孤独な作業です。それゆえ、多くの学生たちが卒業論文の執筆に不安を覚えるのでしょう。しかし、研究を進める推進力は、アドバイスしあい、理解しあうことのできる仲間たちだと考えています。高田ゼミ紹介述べられているように、私のゼミでは、卒業論文執筆の際も毎週ゼミを行い、ゼミ生たちはピアリーディング(互いに読みあい進展を確認する)作業を続けてきました。ゼミとは、教員とゼミの仲間たちと共に学び、共に研究を理解しあうことです。アドバイスしあうゼミ仲間たちとの協働こそが、研究を進める原動力です。
 研究の分野で、今年は、一つとてもうれしいことがありました。ここ数年、ヨーロッパや南北アメリカ、南アジアや東アジアの航空史の研究仲間たちと共同研究を進めてきました。2020年のコロナ禍によって、私は予定してたアメリカ合衆国での在外研究に行きそこなったのですが、逆にzoomを通じて国際的なワークショップや学会に参加することができ、たくさんの仲間と出会いました。そして、その仲間たちとの研究成果が、Journal of Transport Historyという国際ジャーナルの特集号となりました。私の書いたものも特集論文の一つとして掲載されました。とても光栄なことだと感じています。これもまた、研究仲間との協働、そして丁寧に読んでくださった査読者との協働によって達成できたことでした。教育においても、研究においても共に学ぶ「協働」の姿勢を大切にしていきたいと考えています。

近況

武田千夏

 六月末から体調を崩し、そのような状態が続いてしまったために、出発のタイミングを一ヶ月半遅らせ、フランスへ渡航しました。現在母校のパリ政治学院内の政治学研究所(CEVIPOF)に所属し貴重な体験をさせていただいています。何よりも、渡航したことにより気分を切り替えて元気を取り戻すことができました。体力的なことで渡航を躊躇する中、背中を押してくださった関係者の皆様、現在負担をおかけしている学部の先生方、このような貴重な機会を与えてくださったことに深く感謝申し上げます。

マドリード報告

貫井一美

 どうせ夏はマドリードでしょう?という家族の声を尻目に今年もまたイベリア半島のど真ん中で夏を過ごしました。今年は自分の研究以外にも、マドリードという都市についても新たに学ぶ機会がありました。都市と庭園というテーマで講演する機会をいただいて、40年近くお付き合いのマドリード、特にプラド美術館のあるプラド大通りの遊歩道について調べてみたいと思ったのでした。留学時代に一応はマドリードの歴史を学んだのですが、今回、いつも図書館へ行くために歩いて通っていたプラド遊歩道の成り立ちは知らなかったので、良い機会となったわけです。遊歩道の周辺は13世紀には水源豊かな牧草地で、「マドリード」の名前の由来にはいくつかの説がありますが、「豊かな水」というアラビア語からきていてまさに豊かな水が湧き出る牧草地だったという説には納得させられました。「プラド」には牧草地、遊歩道という意味があります。プラド遊歩道は並木道で水が豊かであるからこそ、木々が育ち、真夏の暑さを避けることができる、と妙に納得したり、ふむふむ、面白いなあから始まってプラド遊歩道への興味はどんどん高まり、楽しい学びの日々を送りました。
 何か新しいことを知るってやっぱり脳がムズムズして楽しいこと!を体験したこの夏でした。相変わらず好奇心全開です。

Google先生

米塚真治

 先日、論文のAbstract(英文要旨)を作成していて、日本語要旨の一段落をGoogle先生に入れてみたんですね。下訳のつもりだったのですが、ほとんど直すところのない英訳が出てきたのです。大いに感心して、続けて二段落目、三段落目もお願いしてみました。やはり、とてもよくできているんですね。
 おかしな箇所は、元の日本語が曖昧なわけで、それを他の語に変えると、Google先生の英訳も追従して変わるんですね。しかも構文も含めて。コーパスを参照しているようで、コロケーション(名詞と動詞の組み合わせ)も合っているし、文体も自然。文をクリックすると候補が三つ出てくるので、その中から意図に合う文を選ぶこともできる。
 こちらが「英語にしても意味が通る文」を意識して書いている点を割り引いても、やはり、できはいいのです。
 そこで思ったのは、Google先生にお願いすればいいのだったら、語学教育には何が残るのかなということ。たぶん、それは、ビジネスメールはこう書くとか、パラグラフはこう書いてこう組み合わせるとかいう「型」なのではないか。しかし、前者はAIが容易に代替するでしょうから、もう少し長く残りそうなのは後者でしょうか。
 AIに代替されないのは「型」だと主張するのも奇妙な話ですが、たぶん合っていると思います。日本語の発想・文章の「型」と、他の言語の発想・文章の「型」の違いということね。
 お互いの「型」が違っていても話を通じさせてくれるGoogle先生の素晴らしさは、じゅうぶんに認めた上での話だけれど。

近況

渡邉顕彦

 今年は6月にイギリス、8月に韓国の学会に参加し発表しました。また2月にイタリア、8月に長崎で研究調査旅行を行っています。ほか3月にイタリア研修旅行の引率、9月には韓国に研究調査に行っており、来年2月にもフィリピンの研究調査、3月にはギリシャの研修引率とイタリアの研究調査を予定しています。
 8月と9月の韓国行きは当初予定していなかったのですが、以前から知っていた研究の仲間や、アメリカで教えていたかつての学生とも会うことも出来ました。また新たな出会いや多くの学びがありました。韓国は実に日本に近くて遠い、似たところもありながら明らかに異なるところもある隣国だと感じ入りました。韓国について多く教えてくれた日韓やほか世界各国の方々に感謝です。
 イタリアも2020年代に入ってから行くことが多くなってきました。同じ南欧なのでギリシャと近い側面もありながら、街や人々の雰囲気が明らかに異なる別の国でもあります。3月には初めてイタリアの文化研修旅行を挙行し、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどを学生の皆さんと見てきました。ここでも考古学の道に入ったかつてのアメリカの教え子に、大妻生と一緒にローマ時代の遺跡の見方を学びオスティア・アンティーカを案内してもらいました。これについては佐藤怜さんの報告も見てください。
 ギリシャ関係では今年、2024年が日本ギリシャ文化観光年とされており(皇室の方も今年ギリシャに行かれましたね)、記念イベントが複数回大妻で行われました。中でも大きかったものが11月初旬にあった、黒海ギリシャ人文化紹介です。これは日本ギリシャ協会主催で、一日がかりで行われ、千代田区の文化事業助成、フィリップモリスジャパン合同会社の協賛もいただき盛会になりました。日本の様々な団体や他大学の先生、ギリシャの団体や先生方にも出演していただき感謝です。ゼミ生も準備運営に力を尽くし、私のゼミ紹介でも学生が報告しているので皆さん見てください。これを書いているただ今、12月はこのイベントの余韻を感じつつ、3月のギリシャの研修引率を準備しています。