貫井ゼミ

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂
〜《生誕ファサード》彫刻群の配置について〜

西元葵

 本論文は、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の《生誕のファサード》における、彫刻群の配置順の特徴を明らかにすることで、建築家アントニオ・ガウディが《生誕のファサード》で重視したことについて考察したものである。
 第1章では、ガウディの人生を概観することで、彼がサグラダ・ファミリア建設に関わっていく過程について述べた。1883年、ガウディは31歳の時、サグラダ・ファミリアの2代目建築家に就任した。ここから事故で亡くなるまでの約43年間、彼は他の建築物に携わることをやめ、サグラダ・ファミリア建設だけに専念していくこととなる。
 第2章ではサグラダ・ファミリアについて述べた。第1節では、サグラダ・ファミリアが建設されることとなった経緯に特化した。ボカベーリャは、1866年に設立した聖ヨセフ信心会の会員が一堂に会して祈りを捧げることのできる聖堂として建設の提案をした。彼らは財力や権力のないカトリック信者たちによる民間団体であった。土地購入のための資金不足から、人々は毎月少額の献金をすることで資金調達システムを確立させた。ここから、生活を犠牲にしてまで神に救いを求める「贖罪」の気持ちが存在することがわかる。
第2節では1882年に着工されてから現在140年以上が経つサグラダ・ファミリアの概要、第3節では《受難のファサード》を取り上げることで、ガウディが《生誕のファサード》で表現したサグラダ・ファミリアの持つ意味を考察した。
 そして、第3章ではメインテーマである《生誕のファサード》の解釈を試みた。ガウディが設計し、生前唯一手掛け、完成したのが《生誕のファサード》である。《生誕のファサード》を見ると、イエスの誕生から青年期までを理解することができる。そして、イエスの弟子であるバルナバ、シモン、タダイのユタ、マタイに捧げられた4つの塔と3つの門で構成されている。イエスに捧げられた「慈愛の門」では、イエスの誕生に立ち会った全ての人物が登場している。ヨセフに捧げられた「希望の門」はイエスの幼少期が取り上げられており、聖母マリアに捧げられた「信仰の門」では、イエスの青年時代の主な出来事が表現されている。その彫刻群を1つ1つ丁寧に見ながら、その配置の特徴に迫った。
 《生誕のファサード》は複雑で繊細な彫刻で成り立っているにも関わらず、これを見た人々は、キリスト教の教義を誰でも理解することができるように配置されている。ガウディはこの《生誕のファサード》を通じて、キリスト教信仰は誰にでも開かれていることを伝えた。《生誕のファサード》の彫刻1つ1つを見ると、見る者の目線が最終的には最上部の「聖母マリアの戴冠」の場面へ集まる。そして、依頼主の意向である〈ヨセフ信仰〉に留意しており、イエス、聖母マリア、ヨセフの「聖家族」に捧げられている聖堂であることを示したのが《生誕のファサード》の彫刻群の特徴であると考えた。サグラダ・ファミリアは〈ガウディだけのサグラダ・ファミリア〉ではない。1つの宗教建築物であり、「贖罪聖堂」であることをガウディ自身が充分に考慮した作品である。その意味をガウディが自分自身の事として捉え、彼の周りで起きた出来事をきっかけに人生の全てをサグラダ・ファミリアに捧げるという自己犠牲を払い、「贖罪」の気持ちを表していると考えられる。