加藤ゼミ

『ピーター・パン』からみる女性像と子ども像の変化
ー原作とディズニー映画を比較してー

須賀菜乃子

 本論文執筆背景は『ピーター・パン』の原作で、イギリス児童文学作品であるJ・M・バリの『ピーター・パンとウェンディ』の読後と、ディズニー映画の『ピーター・パン』を見た後に受ける印象が違うことに疑問を抱いたからである。そこでそれぞれの作品が制作された時代の価値観や社会情勢を深く理解し、特にこの物語での描写に違いがあると感じた女性と子どもについて焦点をあて、比較することで原作とディズニー映画における変化を考察した。
 第1章では『ピーター・パンとウェンディ』に注目し、家族観や女性像、子ども像を考察した。『ピーター・パンとウェンディ』が書かれた19世紀は子供の概念が変化し子どもの教育などの重要性が広まり、家族の中でも子ども中心になっていったことがわかる。原作のキャラクターの特徴を考察すると、母親は家庭の天使となることや子どもは純真で無垢といったヴィクトリア朝時代の価値観が当てはまっているということもわかる。またキャラクターの特徴や原作のストーリーは作者のJ・M・バリ自身の経験や価値観も深く影響を受け、その結果原作において子どもは純粋無垢な存在ということ、家族の中での母親の重要性が明らかになった。
 第2章ではディズニー映画『ピーター・パン』における女性に注目し、原作と比較することで女性像の変化を考察した。ディズニー映画の女性のキャラクターたちは原作に比べ自己主張をし、自ら行動する自立的な女性として描かれていたことが明らかとなった。それは1950年代のアメリカに、映画製作に女性が関わったように社会に進出して働いていた女性たちが多くいたことが影響し、この時代の女性の考えが男性を介すことなくありのままに映画のキャラクターに反映されていたからであると推測できた。
 第3章ではディズニー映画『ピーター・パン』における子どもについての描写に注目し、原作と比較することで、ディズニー映画における子どもについて考察した。1950年代アメリカで製作されたディズニーは子どもを純粋無垢な存在という考えに加え、成長していく存在であり、たとえ大人になっても子どもという存在は、自分の中で完全になくなることはない連続しているものであると考えていることが明らかになった。それはアメリカの歴史で衰退していくことなく、発展し栄え続いている時代であったからこそ、過去を大切にしつつも未来を見据え発展していったからであると考えられる。アメリカという国の発展の仕方が子ども像に変化を与えたと言うことが明らかとなった。