特別講義要旨

上野未央

 2023年7月6日、ヨーロッパ研究入門BI(思想と宗教)において特別講演会を開催しました。熊本大学名誉教授の鶴島博和先生をお招きし、「中世の海とグローバル・ヒストリーへの道 イングランドと北西ヨーロッパ海域」というタイトルでご講演いただきました
 海から中世ヨーロッパを見ると、どのような時代だったといえるのでしょうか。鶴島先生によれば、11世紀には南の地中海に対する「北の海」と呼ぶべき海域が現れてきます。「北の海」は、さらに南と北に分かれ、それぞれ異なる型の船が航行する海域でした。それらの「3つの海」(地中海、北北海、南北海)が融合し、大航海時代までに「ヨーロッパ海域」となっていくという大きな流れがあるとのことでした。
 続いて、海と土地の境目はどのように決められたかという問いから、海と人びとの歴史が紐解かれていきました。イングランドのクヌート王は干潮時の土地を自らの土地と定めました。満潮時にはそこは海になるわけですが、干潮時の海岸線(低潮海岸線)こそが、クヌート王の支配する土地とされたわけです。ちなみに、現在の日本の地図も、低潮海岸線に沿ったものだということです。
 海のどこまでが領有権の及ぶ範囲と考えられたのかという点についても、クヌート王の例が挙げられ、「満潮時にボートに乗って海に出て、斧を投げて陸地に届く範囲まで」が領海となったことが紹介されました。なお、近世になると、大砲の砲弾が届く範囲までが領海とされたのでした。
 お話は、海を移動したモノにも及びました。テムズ川河口近くで9世紀末から10世紀半ば頃のボートが発掘されたことがあります。発掘現場からは、石臼、ホップ、陶器の壺なども見つかりました。石臼は半加工の状態で運ばれ、ロンドン近郊で完成させる予定だっただろうということでした。ホップはビールの醸造の過程で使用されるもの、壺はワインを入れるのに使われるものだったと推察されます。このボートは、ケルンから、ライン川とテムズ川を通ってロンドンへモノを運ぶのに使用されていたと考えられています。
 他にも、船の形はどのようなもので(ボートとシップはどう違うのか)、船はどのように造られたのか、漁業ではどのような魚をとっていたのか、というお話もありました。いくつもの詳細な事例研究を通して、海をめぐる歴史の流れが明らかにされていきました。