安藤ゼミ

なぜ、東北方言は「笑い」の材料になるのか―東北イメージと「標準語」―

山本華世

 日本には、多様な方言があり、「めんそ~れおきなわ」「おこしやす京都へ」「ようきんしゃったね」といった方言が地域活性化のための地域資源として使用されている。しかし、東北地方には「ズーズー弁」「後進地」という東北イメージがあり、その方言は「笑い」の材料に使われる傾向がある。
 本論では、なぜ東北方言が「笑い」の材料になるのかを知るために、日本語の歴史を踏まえつつ、東北イメージがどのように形成されていったのかを地理・歴史的観点から考察した。その上で、教育とメディアが東北のイメージ形成にどのような役割を果たしたのか、また、東北復興とは何であるのかについて論じた。
 第1章では、日本語の歴史について取り上げた。統一された日本語は、明治時代に誕生した。それは、異なる地域に住む人ともコミュニケーションが取れるようにすることを目的にしていた。しかし、日本が日清戦争・日露戦争と戦争に勝利し、国民意識が高揚する風潮の中、「一つの国家には一つの言語」という発想のもとに方言が罪とみなされるようになった。
 第2章では、なぜ東北方言が「笑い」の材料になるのかを知るために、東北地方を地理的・歴史的観点から論じた。東北には、長い間「蝦夷」という異種人・異文化感覚が残されていた。戊辰戦争で敗北したことで、「未開の地」として「東北」という呼称が生まれ、天皇を中心とした近代国家という一体的な空間に組み込まれた。エネルギー・食料・労働力の供給地として、東北の「国内植民地」としての役割は、現在まで続いている。
 第3章では、第1・2章の内容をもとに、教育とメディアが方言・東北地方に与えた影響と2011年3月11日に発生した東日本大震災から東北復興とは何なのかを考察した。教育・メディアが、標準語・東北イメージを形成するためにどのような役割を果たしたのかを論じた。
 「標準語」という言葉には、国民国家の形成や方言撲滅運動など戦前に行われた統制の歴史という付随的な意味をもつ言葉である。しかし、政策的に理想的な標準語から方言が罪と考えられるだけでなく、都市圏が形成され、権力・文化が都市圏に集中したことによって、中央語の優越意識と共に方言が「笑い」の材料になる。
 東日本大震災は、東北の「国内植民地」という構造を浮かび上がらせ、東北の問題を考える契機になったと考える。現在まで行われた復興は、首都圏への供給地である「国内植民地」の東北を再構築しているのではないか。東北の発展・復興を考えるとき、東北が資源の供給地として政策的に創出された地域であるという歴史を踏まえ、地域のアイデンティティーを理解することが重要であると考える。