加藤ゼミ

「来て!助産婦さん」から見るイギリスの貧困 ー労働者階級と福祉ー

中村友香

 卒業論文では、『来て!助産婦さん』に描かれるような、「労働者階級」の人々の実情を把握して、貧困を改善するためにどのような取り組みが行われてきたのかを、19世紀から第2次世界大戦後に注目して、イギリスの福祉の歩みとその問題点について考えた。
 第1章では、19世紀に注目し、労働者階級の人々について考察した。救貧税に負担をかける労働者たちが「貧者」とされ、自らが「貧者」と呼ばれることを好まなくなった労働者の人々は、自らを「労働者階級」と呼ぶようになった。彼らは、18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命により、都市部に流入し、爆発的にロンドンの人口を増加させて、スラム街を形成していった。このように、下層階級として存在してきた「労働者階級」の人々だが、食文化の面において、イギリスを代表する料理に大きく関わっていた。「労働者階級」はどのように形成され、彼らが形成したスラム街はどのような状態だったのかについて精査すると共に、階級社会が強く根付くイギリスにおいて、文化の面では階級が存在していなかったことを、「食文化」の歴史から明らかにした。
 第2章では、『来て!助産婦さん』を取り扱い、「助産師」という職業と第2次世界大戦後のイーストエンドに注目した。19世紀以前まで教養のある女性の職業として認められていなかった「助産師」が、19世紀から第2次世界大戦後に至るまで、イーストエンドの人々のケアをする中心となっていた。戦後のイーストエンドは復興が進められる過程で、新たな時代の変化に合わせ生まれ変わる時期であった。だが、変化に適応できず、取り残されている人々もいた。そこで、助産師としての経験を持つ作者が、この作品を執筆することで、何を読者に伝えたかったのかについて推察した。また、イーストエンドの人々にとって「助産師」はどのような「存在」だったのかについて照らし出した。
 第3章では、前章までで考察した、労働者階級の貧困を改善するための取り組みと、その問題点について19世紀から第2次世界大戦後に焦点を当てて精査した。第2次世界大戦後「福祉国家」が整備されるまで、イギリスではチャリティが貧者を支援する主軸となっていた。チャリティでは、経済的支援だけでなく、階級間の人の移動を通じて行われる「セツルメント」という活動も行われ、貧者への手厚い支援が行われた。しかし、支援者のなかには、チャリティを娯楽と捉えるなど、階級差から生まれる問題点もあった。その後、福祉国家が整備されると、民間団体であったチャリティに代わり、国が国民の福祉を担っていくことになるが、貧困は思うように改善されなかった。その原因はいったい何だったのか「児童の貧困」に注目して考察した。そして、チャリティと福祉国家から、共通の問題点を浮き彫りにさせ、長年にわたり貧困が改善されなかったことについての原因を明らかにした。