酒井ゼミ

近世民衆から見る朝鮮・朝鮮人観

飯尾美月

 現代の日本では若い世代を中心に日本と韓国の間でアニメやK-POPなど、お互いの文化を通じた交流が深まっている。一方、両国の間では慰安婦問題や竹島問題などの国際問題がメディアによって強調され、イメージだけが蓄積し、適切な相互理解に至っていない部分がある。このようなすれ違いを解消して、お互いを正当に理解するためには、現代の私たち及び自分自身の韓国・朝鮮観を顧みる必要があると考え、これまでの日本と韓国(朝鮮)の関係史を振り返り、自身の持つ思想の源流について追究するに至った。
 本論文では、日朝関係が比較的安定していたとされる近世に焦点を当て、自分自身と同じ身分である「民衆」を軸に探究する。
 既存の近世における民衆の朝鮮・朝鮮人観の研究においては、浄瑠璃や歌舞伎作品に描かれる朝鮮・朝鮮人像からの分析と、日本と朝鮮の間で起きた漂流事件において直接関わった民衆の実体験の二方面から検討されてきた。
 第一章では、通信使が本州まで到来していた時期における浄瑠璃・歌舞伎作品の傾向について整理し、民衆が歌舞伎作品からどのように朝鮮・朝鮮人を見ていたのか追究する。続いて第二章で、朝鮮人の日本漂流と日本人の朝鮮漂流事件を取り上げ、実際に直接朝鮮人と接触した日本人は朝鮮人に対してどのような態度で接していたのかについて検討する。
 第一章では二つの作品を取り上げたが、異国人が登場する作品はこの他にも数多くあり、登場する異国人のルーツや歴史のモチーフも様々である。そのため、少ない作品数で近世民衆の朝鮮・朝鮮人観を判断することはできず、それぞれの作品を深く追求していくことが求められる。
 第二章では二つの漂流事件を取り上げた。朝鮮人漂流民の漂着が多い地域では、場合によっては護送の手段を強腰なものにすることや、漂流船の漂着を拒むケースもある。接触が増えるほど非友好的な対応になるとすれば皮肉な話であるが、地域によっては朝鮮漂流民との友好な交流が見られない場合もあり、平和的な交流が一様に行われるわけではない。
 本論文では近世民衆の朝鮮・朝鮮人観を考察したが、現代の日本人の韓国・朝鮮観を見ても、メディアによって形成されたイメージと実際の韓国・朝鮮人のイメージは差異が見られる。
 今後の日本人の韓国・朝鮮人観の形成には、メディアの姿勢を問うよりも、一人一人が自身の価値観を再考することに着手することから始めることが重要であろう。