貫井ゼミ

バレエと政治~太陽王ルイ14世の意図~

稲川由姫

 フランスでは1959年に文化省が設立され「国家予算の1%を文化政策へ」という目標のもと、国民が文化に触れる機会を大幅に増やす政策が行われた。文化省によるこの政策は、学校における芸術教育、サブカルチャーや料理などの分野に加えてマスメディアも重視され、後に文化・コミュニケーション省と改組された。このように、フランスは国家主導で文化政策に取り組むことで多方面に影響を与え続ける、文化的先進国である。しかし、16世紀に国家統一が成し遂げられてからルイ14世が絶対王政を確立させるまで、国家権力が非常に弱かった。そのためルイ14世は、芸術を政治的プロパガンダとして用いることで国民の統一と国家権力の強化を図ったのである。本研究では、政治的に左右された芸術とその関係をバレエを切り口として取り上げ、ルイ14世が芸術を重視した意図を考察した。
 第1章では、政治に左右された点について深く理解するために社会的側面からアプローチした。最初にフランス国最初の王朝であるカペー朝からヴァロア朝までの変遷を概観した。芸術的にも周辺国に遅れをとっていたが、フランソワ1世による治世で「宮廷バレエ」がイタリアからもたらされたことにより王権強化への道のりが歩まれた。なぜなら聖職者と貴族が権力を握っていた当時、人が行き交う宮廷を舞台にすることは王権を示すために最も好都合だったからだ。宮廷バレエが全盛期を迎えるのは太陽王ルイ14世の治世下だが、宮廷で踊ることは社交術として必要不可欠な要素になった。
 第2章では、ルイ14世が「親政の宣言」を行い主権国家として歩み始めるために見直した政治改革を論じた。宰相マザランの教えのもと輔弼者と共に、秩序維持活動や社会問題を国家主導で取り組むという理念を掲げて社会統制を行った。これはまさに主権国家への第一歩であり、ルイ14世が渇望した国家だった。一方芸術政策は「王の栄光」をキーワードに、絵画・タピスリーを例に挙げて明らかにした。芸術は人々の感性に語りかけることが可能であり、想像力は果てし無く広がる。ルイ14世は国王の威厳を知らしめるために芸術を利用し、中でも熱心に取り組んだものがバレエだった。『夜のバレエ』という作品では太陽神アポロンを演じ、自らを太陽と重ね合わせることで唯一無二の存在を表現したのである。
 第3章では、ルイ14世の舞台引退により「宮廷バレエ」は劇場へと移り、大衆化される過程を明らかにした。鑑賞される芸術として認識が広まり、客席の主体は新興ブルジョワジーへと変化する。そして彼らを引き込むためには「視覚に語りかける」という演出が必要になった。つまりそれは照明によって照らし出される女性の脚のことであり、女性ダンサーが主体となるバレエが始まった。バレエを踊るにおいて重要な「身体美を追求する」という要素は、美しさを演出に取り入れたこの時代に築かれたと言える。
 結論として、主権国家へと歩み出したルイ14世が自らバレエを踊ったことで、芸術として高い地位を確立させたと考察出来る。国王が舞台に立ってからこそ高級文化とされ、時代と共に変化して楽しまれてきた。そして先に述べたように、現在も国家主導でバレエとその他芸術の発展維持に取り組まれている。まさにこれこそが、ルイ14世の意図であると筆者は考える。