教員近況

NPO法人を設立しました

赤松美和子

 これまで日本台湾修学旅行支援研究者ネットワーク(SNET台湾)として活動してきましたが、今年、NPO法人日本台湾教育支援研究者ネットワーク(SNET台湾)と名前もマイナーチェンジし、新たに出発することになりました。
 SNET台湾では、去年に続き「台湾修学旅行アカデミー」というYouTube番組作成、高校や大学での出張講義に加え、今年は「台湾国家人権博物館特別展-私たちのくらしと台湾」(9.15-11.30)を監修しました。コロナ禍でご来場が難しい方のために特別展特設サイト半永久版を制作しましたのでよろしければご覧ください。特別展のプロモーションビデオには、ゼミ生有志も出演してくれています。特別展の準備を通して、台湾の政治犯を救う会(1977‐1994)の存在を知り、会員の方にお会いすることがかないました。台湾の政治犯を救う会は、戒厳令下、台湾の非人道的な状況に対して抗議し、政治犯釈放や待遇の改善を求め、政治犯たちを支援し続けた日本の市民団体です。そこで、台湾の政治犯を救う会の方をインタビューさせていただき、映像記録「台湾の政治犯を救う会-国境は海を越えて」を制作しました。「アジア文化研究AⅡ」10月28日の授業では、特別展を見に行く校外学習グループとオンラインで特設サイトを見るグループに分かれ、受講生がそれぞれ感想を「台日人権作文コンテスト」に投稿し、3名が入賞しました。校外学習が可能な現在のコロナの小康状態と、授業時間内に特別展に行って帰って来られる大妻千代田キャンパスの恵まれた立地に感謝いたします。
 最後に、この度、お茶の水女子大学賞第6回小泉郁子賞を受賞させていたくことになりました。ありがとうございます。

ショパンとポアロと

安藤恭子

 2020年に引き続き、2021年も自宅のパソコンの前に座る日々。新しくできるようになったことは、youtubeにオンデマンド授業をアップすること。ZOOMを初めて使ったときのことを忘れてしまったように、慣れてしまうとそれも日常になる……。こうやって感覚が弛緩していくことは、いいことではありませんね。
 そうした日々に良い刺激を与えてくれたものに、ショパン国際ピアノコンクールのネット中継がありました。ポーランドのワルシャワから、熱のこもった演奏がライヴで流れてくる……自分の耳と心が快い緊張に包まれ、生きているという感覚が蘇りました。新しい技術が忘れがたい思い出をつくってくれることもあるようです。
 もう一つ、刺激を与えてくれたものに、イギリスBBC制作の『名探偵ポワロ』がありました。第一次世界大戦の影響でベルギーからイギリスに亡命したポアロに対し、事件関係者が「外国人め! 」と罵声を浴びせる場面が強く印象に残ります。英語の訳し方にも興味深いものがあります。「あなた、自然を愛しますか? 」というポアロのセリフが唐突で、首をひねっていたら、なんとそれは「あなたはニーチェの信奉者ですか? 」という内容の英語の誤訳でした。ネイチャーとニーチェ……笑えない話です。しかも、問いかけられた登場人物の答えが「オーストリア人がナチだとは限らない」というもので、誤訳してしまうと政治的にナチスに利用されていたニーチェという文脈が切れてしまうのでした。こうしたことを詳しく解説してくれるサイトもあり、楽しみ方が増えました。それにしても、語学は大切ですね。
 日常を新しく刷新してくれるものと出合うこと、また、自分の力で刷新する努力をつづけること。コロナ禍が何を自分にもたらしているのか、元気でさえいれば考える時間はまだまだありそうです。

近況報告

石川照子

 学科長3年目の今年も、コロナ対応に追われました。昨年よりは状況が改善され対面授業も増えましたが、学生のみなさんにはまだ不自由な中で勉強を続けてもらっています。くれぐれも体調には気をつけて下さい。
 研究面でも忙しい年となりました。近代中国のキリスト教と女性に関する研究と並行して、科研費研究グループでは、日中戦争前後における日中両国の女性の交流と葛藤に関する研究を継続しました。また、学会の大会シンポジウムの報告、コメンテーター、司会を経験しました。来年度前期はサバーティカルを取得しますが、これらの研究を整理し、さらに進展させていきたいと思います。

近況

井上淳

 みなさまも2021年度は引き続きコロナ禍で大変だったことと思います。私も、大学での業務に関係することでは履修者が多い授業でオンデマンド形式のオンライン授業をやるようにという指示があり、細かく課題を出すのは取り組む学生もチェックする教員も大変でした。1、2年次対象の授業で対面授業ができなかったので学生の顔と名前はほとんど一致せず、私のゼミを選択する学生がいるかどうかも心配でした。
 一方で、オンラインツールを使えば新型コロナウイルス流行前には考えつかなかったようなこともできることが分かりました。遠方に住む先輩と現役学生とが話をすることができる、帰宅時間が気になる方やご家庭の事情がある方は自宅から会合に参加することができる…と考えると、色々試すことができるなと思っています。ただ、ニーズが一定数なければ始まらないことなので、卒業生、現役生からのご要望やお声かけをお待ちしています(メールアドレスは従来と変わっていません)。
 ところで、私はこの2年間ほど切れ目なく何か執筆をしており、そのうちいくつかは幸い刊行までこぎつけることができました。ひとつは、『はじめて学ぶEU 歴史・制度・政策』(法律文化社)です。これは、「ヨーロッパ文化研究B(政治と経済)」の授業で話す「台本」を書きためて完成させたものです。出版社のホームページにはグラフや統計といった資料集も掲載していますので、授業を受講された方もそうでない方も、EU(欧州連合)にご関心があればぜひ書店で手に取って読んでいただければと思います。
 もうひとつは、『国際機構 新版』(岩波テキストブック)です。このテキストでは、旧版で担当した2つの章(国際政治学からみた国際機構の章そして貧困削減の章)のアップデートをしただけでなく、今回の新型コロナウイルス流行に関連して保健・公衆衛生の章を新たに執筆する機会をいただきました。気候変動問題や難民問題、貧困削減の問題はもちろんのこと、個人情報保護や通商・金融など新しいトピックも広く取り上げて、国連とEUという二大国際機構の取り組みを紹介したテキストです。
 それこそ今日は技術が発達して、専門家でなくてもGoogle Scholarなどを使って学術論文などにアクセスすることができる時代です。そうした形でアクセスできるものについては、事象は複雑でも読者がその話題を身近なこととして感じることができるように書きたいなと思っています。また、上記テキストに限らず、1篇の本や論文で表現できることは限られています。手にした本や論文がきっかけとなって、他の本や論文にも触れたいと思う工夫ができたらと思っています。たとえ刊行年が古くても、現代に示唆をもたらす本や論文はたくさん存在します。単に自身の主張・業績を売りこむのではなく、時代や場所をこえて示唆をもたらすものを引き継ぐように、と思いながら、調査と執筆に取り組んでいます。

4月に着任しました(自己紹介)

岩谷秋美

 4月に着任し、ドイツ語やドイツ文化に関する授業を担当しています岩谷秋美(いわやあきみ)と申します。近況報告に代わり、この場をお借りして自己紹介させていただきたいと思います。
 専門はドイツ・オーストリアの美術史・建築史です。特に中世末期、14世紀から15世紀頃におけるオーストリアのゴシック大聖堂を主要な研究対象にしています。オーストリアといえばハプスブルク家を連想される方も多いのではないでしょうか。一族がオーストリアを支配下に置いたのは13世紀末のことで、それから15世紀末頃まで、ハプスブルク家はヨーロッパの東方を治める一有力者にすぎませんでした。まだ絶対的な権力を手中にしていなかったからこそ、というべきでしょう、ハプスブルク家は歴史的・伝統的な形式をせっせと取り入れて、ゴシック大聖堂を建設しました。そうして完成したウィーンのシュテファン大聖堂は、古い様式と新しい様式、伝統的な形式と革新的な形式が奇妙に入り混じった、ふたつとない独特な建築となったのです。
 オーストリアはその後、多民族国家として発展します。多様な文化を受け入れる気風は、このゴシック大聖堂を建設していた中世からすでに備わっていたとも言えるでしょう。こうしたオーストリアの歴史は、ドイツ語圏の文化のひとつの側面にすぎません。多彩な文化をはぐくんだドイツ語圏文化の魅力を、授業で伝えていければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

イギリスのパイについて

上野未央

 コロナ禍で海外出張に行けなくなって2年ほど、それまで1年に1回はイギリスに史料調査や学会のために行っていましたし、2019年は1年間イギリスに滞在していたので、ずいぶん長いことイギリスに行っていないなあ、と思います。イギリスは食べ物がおいしくないと言われますが、イギリスに行かないでいると美味しいものも思い出すことになります。その一つがパイです。
 パイといってまず思い浮かぶのは、お肉のパイです。小麦粉に湯とラードを加えて作られたパイ(タルトに似ています)の中に調理された肉が入り、上から同じ生地で蓋がされています。大きさは様々ですが、手のひらサイズでも、どっしりとしています。ダイス状に切った豚肉が入った「ポーク・パイ」や、牛肉とキドニー(腎臓)の入った「ステーキ・アンド・キドニー・パイ」が有名です。ステーキ・アンド・キドニー・パイは、モツ煮込みを上記のようなパイ生地で包んだもの、という感じです。煮込み好きの方には、ぜひ一度食べてみてもらいたいものです。どちらもパブやレストランでよく食べられますし、デリや精肉店で買うこともできます。手軽に食べられて美味しい、イギリス料理です。
 歴史的にみると、中世の写本挿絵にもパイを焼く職人の姿が描かれており、そのパイの形は、現代のものとよく似ています。The Oxford English Dictionaryを確認すると、pieとは肉や魚、野菜、果物をペースト状のもので包んで焼いた料理で、この語は14世紀から記録されています。パイは、産業革命の時代には、労働者の食事としても知られるようになりました。メルトン・モウブレイという町では18世紀からポーク・パイが作られていますが、18世紀にはパイの中身を食べたら皮は捨てたのだそうです。非常に固く焼かれていて、お弁当箱のように労働者が持ち運んで中身だけを食べていたということです。現在では、もちろん、外側もサクサクしておいしいパイが焼かれています。
 もう一つ、イギリスでよく食べられるのが「シェパーズ・パイ」という羊の挽肉で作ったソースの上にマッシュドポテトをのせてオーブンで焼いた料理です。中身が牛肉だと「コテージ・パイ」になります。他にも、軽いペストリー生地のパイや、お菓子としてのパイなどもあり、パイといってもいろいろあります。
 私は最近、大学のそばにイギリスのパイを専門に扱う小さな店を発見したところです。この原稿を書いている今は12月。そのお店でミンス・パイというドライフルーツやスパイスの入ったパイを買って、イギリスのクリスマス気分を味わおうかなと思っています。

近況

江頭浩樹

 今年度は感染対策を施しての対面授業が始まりましたが、東京都内の感染者の増加によって5月の連休を境目にオンライン授業へと移行しました。それに伴い授業教材のPowerPoint化に追われる毎日の再来でした。昨年のオンライン授業(オンディマンド方式)で要領を得ていたのでそんなに苦労をしませんでしたが、やはりPowerPointを用いてのオンディマンド方式の授業準備は大変でした。恐らく学生の皆さんも私以上に大変だったと想像します。また学部内の仕事も初めて担当するものでしたので、あたふたとし慣れるのに時間がかかってしまいました。教育研究ですが、3年ゼミ、4年ゼミでは男女の会話分析をやっていますが、私の関心 —人間の本質の探究 —とどのように結びつけるかが当面の課題です。何はともあれ、コロナ禍が早く終息することを願うばかりです。

今年度より着任いたしました

加藤彩雪

 4月に着任いたしました新任の加藤彩雪と申します。20世紀のイギリス文学、オーストラリア文学を研究しております。授業では主に、中世後期から今日までに書かれた文学作品を幅広く取り上げています。フランスやアメリカなど他国の文学も適宜紹介しながら、外国からイギリスやオーストラリアの文学や文化の特徴を照らし出すことは、授業の1つの醍醐味といえます。
 1年を通して楽しかったことの1つに、学生の卒業論文、レポート、授業のリアクションペーパーなど「書き言葉」を通して、学生と対話できたことがあります。対面でお話をするのも勿論、楽しい時間ではありましたが、普段の様子とはまた違った姿に、書き言葉を通して触れることができ、その言葉にコメントをすることで、深いところで学生と「対話」することができたように感じられます。コロナウイルスに振り回された1年ではありましたが、このような形での学生との対話は、私の心に穏やかさを与えてくれました。
 また今年は、オーストラリア文学がイギリスやアメリカでどのように受容されたのかということに関する研究を進展させることができました。しかし、研究をしていると自分自身が、大きな川の流れの中の非常に小さい存在に思えることがよくあります。ちっぽけな存在だからこそ、コツコツと努力していきたいと思っています。

近況

城殿智行

 この文は2021年末に記します。昨年頭、隣国における感染症の発生を漏れ聞いて以来、複数の専門家は当初から大規模な感染症の流行を予測し、またその収束には2・3年、あるいはさらに時間がかかるだろう、と一般社会には心情的に受け入れがたい展望を述べましたが、いずれも現実のものとなりました。科学的な知見が情報として共有される時代に生きていることを、喜ぶべきかと思います。たとえ各国における現実の政策に、せっかくの科学的な知見が十分には生かされず、政治的・経済的な利害関心によって、そうした知見の価値が部分的に毀損されてしまうにせよ。
 比較文化学部の卒業生、在学生、そしてこれから入学を考えて下さる受験生の方にとって、喫緊の関心は、留学や海外就職の可能性が今後、狭まることがあるのかどうかでしょうか。各国および各企業、自治体、様々な組織が、たった今も、新しい就業様式と新しい学習環境を模索しています。今後、リモートワークや遠隔授業が主流になっても、比較文化学部で身につける語学能力や知識が無駄になることは決してありません。
 昨年ここに記した内容をわずかに変えて、再説します。今回の感染症流行により、私たちが否応なしに一蓮托生のエピデミカルかつエコロジカルな前提を共有せざるをえないのだという痛切な教訓を得たのだとしたら、全世界の膨大な感染症犠牲者の方々を前にして、それが今後に活かされることを祈ってやみません。

近況報告

行田勇

 2021年度は大妻に勤めて16年目でした。一昨年、この近況報告で、私は最後に次のように書きました。
 「15というのはなんか区切りの数です。まあでも、だから特にどうってことはありませんが。ともかく平穏無事な1年でありますように。」
 相変わらず、こんな私の願いがかなわない日々が続いています。残念ながら、「ともかく平穏無事な1年」とはいきませんでした。やれやれです。
 しかし、悲観的なことばかりではなかったような気もします。災い転じて福となすこともたくさんありました。コロナ禍の中、私自身が感染せずにこの1年を過ごせたことだって幸せなことです。そういうわけで、昨年に引き続き「良いことも悪いこともいろいろあった1年でした」という近況報告にしておきましょう。
 2022年度は大妻に勤めて17年目となります。今度こそ平穏無事な1年を過ごしたいものです。3度目の正直です。
 そうそう、先日CAAD10 の1号機(通称「本郷猛」くん)に乗って、東京オリンピックのロードレースコースを走ってきました。もちろん途中リタイヤです(笑)。世界の超一流選手の凄さを再認識しました。

近況

久保忠行

 近況として何を書くか迷いました。昨年から「若手難民研究者奨励賞」という表彰・研究助成事業の審査委員長をしています。若手の私がなんで、といった事などをツラツラと書こうと思いました。でも軽いタッチで書こうとすればするほど「いらんこと」を書いてしまいそうでやめました。その話で書こうとしたのは、大学院生やポスドク、常勤職がない、研究資金がない、業績がない、ほかにアテがない「若手」をもっと支援できる仕組みを整えて、次の方に引き継ぎたいということでした。
 またオンラインの授業形態が定着して便利になりました。学生たちは、次に何があってもどこでも授業を受講できるようになった反面、逃げ道がなくなってサボれなくなったな(かわいそう)、ということを書きはじめました。でも、サボることを推奨しているように思われては困るのでやめました。そう思われないためには説明に説明を重ねないといけないので、この話を書くのも面倒になりました。
 結局2つともこうして書いてしまいました。あんなに悩んでいたのに2つも話題提供することができました。やったー! 書けた。最近思っていることでした。

自分もパフォーマーだったと改めて気がつきました

佐藤円

 コロナ禍2年目もその対策に追われながら学部長を務めています。なんとか乗り切ってきたという感じです。この2年間大学では、それまで経験したことがないようなことが本当にいろいろありました。歴史研究者なので、そのことを忘れてしまう前に記録するべきだと思うのですが、まだ目の前のことで精一杯で、記録にまでは手が回りません。せめてこの間に書いた書類やメールなどはなくならないようにして、後になって何かしらの対応で困った際に参照できるようにしておこうと思っています。歴史とは現在を相対化し、未来を構想するためにあるものだからです。
 さて、このコロナ禍のなかでも、今年(2021年)は2月と11月に卒業生の結婚式に呼ばれ、スピーチをしました。特に2月の結婚式は、感染症の流行のため3回も延期した上での祝宴でした。どちらの場合も、このようなときに人を大勢集める会合への招待状を送っていいものか、かなり悩んだうえでの実施でした。僕に対しても「このようなときですから無理を言えないのですが、出席していただけるでしょうか」と悲痛なお誘いでしたから、「行きます」と即答しました。このタイミングで結婚式をすることになったのは当人たちの責任ではないし、その悔しさがよく分かりましたから、スピーチも一生懸命準備して出かけました。ところがです、出番になってしゃべろうとしたら、なんだかうまくいかないのです。しゃべるのが本業のくせに、滑舌も声量もいまひとつ。あれれ、どうしちゃったのかなとあせりながらなんとか終えましたが、原因はオンライン授業だとすぐに気がつきました。やっぱり舞台(教壇)の上でのパフォーマンスを日常的にやっていないと、腕が鈍るのです。身体とは正直なものです。この1回目の経験があったため、2回目も少なからず不安でしたが、11月には対面授業も再開されていたせいか、事なきを得ました。このように、コロナ禍のせいで、また思わぬところで身体と向き合うことになりました。昨年はオンライン授業の準備で60肩を患いましたが、今年もこのようなことを気づかされました。学生や卒業生のみなさんもどうぞお身体はお大事に。

枝葉末節と孟母三遷

佐藤実

 こどもが通う学校の委員会選挙では、立候補者がそれぞれ四字熟語で自身のモットーを掲げることになっていて、先日、当選した委員会の四字熟語をみる機会がありました。みんな色々と工夫しているのですが、保健委員会に当選した委員長のモットーが「枝葉末節」。いや、でも、その四字熟語は……。『広辞苑』第七版には、
   【枝葉末節】物事の本質からはずれた、ささいな部分。「―の問題」
とあるように、この四字熟語、良い意味では使われないわけです。もちろんその委員長の意図するところは想像できて、ささいな事にも気配りをする、という意味で使っているのでしょう。それでもなあ。と思っていたのですが、はたと、でも『広辞苑』がいう「物事の本質」とされているものじたいが何だかわからなくなっているこんにち、枝葉末節のほうにじつは大切なものがあるのかもしれない、そしてそれは若い人たちのほうが敏感に察知するのかもしれない、と思い直したのでした。『三省堂現代新国語辞典』第六版には
   【枝葉末節】だいじではない、小さなつまらないことがら。「―にこだわる」
とありました。例文の「―にこだわる」はまさにあの当選した委員長のメッセージにみえてきました。
 いっぽうで、環境美化委員会に当選した委員長の四字熟語モットーが「」。孟母とは中国の紀元前四世紀から三世紀にかけて活躍した思想家、孟子の母親です。孟子は母親一人の手で育てられました。最初、お墓の近くに住んでいたのですが、孟子は葬式のまねごとばかりするので母親は教育的によくないと考え、市場の近くに引っ越します。ここが二度目の家。すると今度は商売のまねごとをする。当時は金儲けにたいしてマイナスのイメージがあったわけです。そこで三度目は学校の近くに引っ越すと、儀礼祭祀のまねばかりした。母親は言った「まさに息子がいるべき場所だ」と。ということで、たとえば『デジタル大辞泉』には上記のエピソードを紹介したあとに、
   【孟母三遷の教え】……教育には環境が大切であるという教え。また教育熱心な母親のたとえ。
と教訓がみちびかれています。『デジタル大辞泉』も指摘しているようにこの話は紀元前一世紀の人、が著した『』におさめられています。授業で紹介したこともありました。
 「教育には環境が大切である」のは確かにそうでしょう。それゆえに環境美化委員会の委員長もこの孟母三遷をモットーにしたのでしょう。けれども、孟子の母親はよい環境をもとめて引越(「遷」は移るの意味)しているんですよね。与えられた環境をよくしていこうという発想ではない。だから、学校の環境美化委員会が「孟母三遷」をうたってしまうと、あっさりと積極的に転校するのがよい、ということになりかねない。そういう場合もあるでしょうが。

近況

Johnson, G.S.

 緊急事態の下、私はコミュニケーションでは以前より文字を使い、会話は比較的に少なくなる感じがした。話す人々の範囲は減少し、日本語で話すきっかけも少なくなった。日本語能力がそもそも不十分で、特に話す能力が足りていないと感じている。そこで、最近シャドーイングを練習し始めた。シャドーイングは外国語を聞きながら、それを真似して、発音してみることだ。通訳者はこの方法で練習するが、誰でもこれを使う事で上達できる。聞き取り能力が上達し、話すときにイントネーションとリズムも改善できる。私は英語の学生達にシャドーイングをするように勧めているので、自分でもやるべきだと思った。学生に勧めると同時に、まずは、自分でも練習すべきであると、この度再確認した。

近状紹介

銭国紅

 コロナ禍の中で、オンライン授業と対面授業の切り替えを繰り返した一年でした。オンライン授業のやり方に少し慣れてきた気がする一方、今まで気づかないデメリットにも気づき始め、そのバランスをどう取るかと、右往左往する日々が多いです。もう2年あまりも研究調査のために海外に足を運ぶことなく、研究室と自宅を往復している時間が増える一方ですが、これまでの取り組みや興味関心の再点検に多くの時間を費やすことができ、もう少し前に向かって行くことが可能かをじっくりと思考することができたことが有り難く思われるところです。

大統領演説とスタール夫人

武田千夏

 2019年2月4日にフランスとドイツは両国のさらなる友好関係のためにアーヘン条約を締結しました。その記念すべき式典で、マクロン大統領はメルケル首相を前にして、スタール夫人の『ドイツについて』(1813)の一部として以下を引用しました。「私の心がフランス語の言葉を探そうとして探すことができないとき、私は時々ドイツ語から言葉を探そうとします。・・・」
 スタール夫人は『ドイツについて』で独仏の文学、哲学、宗教などを比較、論じることで、ドイツロマン主義を初めてフランスに紹介しました。そしてこの著書はフランスにおけるロマン主義誕生の一つの契機となりました。しかし1870年の普仏戦争の敗退によって、フランスにおけるスタール夫人のイメージは一変します。外国人、プロテスタント教徒、そして『ドイツについて』の作家として、この戦争を機にフランス文学史から突如スタール夫人の名が消えました。
 マクロン大統領が仏独間の友好関係を育むためにスタール夫人を引用したことはしたがって、過去200年の歴史を考えた時感慨深いものであるはずでした。しかしこれに対してフランスのメディアは一様に批判的な反応を示しました。現代はネットですべての引用について調べることができる時代です。ジャーナリストはこの引用がどこから来たものかを調べ、大統領の引用がスタール夫人の作品の中のどこにも存在しないことをつきとめました。その後文学研究者たちも「スタール夫人を政治に巻き込むな」との苦言を呈し、スタール夫人論争は文学と政治の間で揺れるスタール夫人研究の縄張り争いにまで発展していきました。
 しかし改めて大統領の演説を読んでみると、引用自体は間違っていたにしても、スタール夫人解釈は間違っていません。スタール夫人の思想はニュアンスの思想です。『ドイツについて』においてスタール夫人はヨーロッパ南部の文学とヨーロッパ北部の文学を区分し、イタリア、フランスが前者、ドイツ、イギリス、スカンジナビア諸国が後者に属すると区分しました。スタール夫人は両者の文学類型に優劣をつけることなく、個々人がこれらの二つの文化の型の間のどこかに身を置き、心をオープンにして異文化に接しつつ自己の文化を俯瞰することによって、自身の独自な考え方を発展させていくことができると書いています。そしてこの目的のために、スタール夫人は翻訳が単なる言葉の置き換えではなく、独自な感性、考えを模索するための具体的手段であるとして、強く奨励しています。大統領の演説はスタール夫人の異文化交流による自己確立というテーマを偏狭なナショナリズムを超えてさらなる友好関係が必要とされる今日の仏独関係と結びつけましたが、それは同時に「ローカルであると同時にグローバルであれ」というスタール夫人のエスプリを思い起こさせるものでした。

2021年、徒然‥

貫井一美

 近況報告なのですが、あまりにもいろいろなことが多すぎて「記憶」が欠落しているように感じる1年でした。「コロナ禍」2年目だから少しは慣れて昨年よりは楽になるかなと思いきや、対面授業とオンライン 授業という異なる授業形態を同時に行うことやそこから派生する諸問題は昨年にはなかった新たなる課題でした。
 とはいえ、そのような中での大きなトピックは流通経済大学名誉教授の関哲行先生をお招きして「中近世スペインのユダヤ人とコンベルソ(改宗ユダヤ人)―異端審問、「血の純血規約」、グローバル・ネットワークを含めてー」というタイトルで開催された比較文化学会記念講演会でした。授業等で忙しい中、学術委員会初め多くの先生方が協力してくださってオンライン開催ができたこと、そしてこのような状況の中で関先生がこのご講演のために学生のために時間をかけて準備をしてくださったこと、当日はわざわざ大学へいらして講演してくださったことには本当に感謝しています。同じスペインをフィールドとする私としては、先生の持っておられる知識や情報量の豊富さは言うまでもなく、研究者としての姿勢を改めて考える機会となり、一学生に戻ったような時間でした。比較文化学会は大学が研究機関であるということを学生が認識する数少ない機会だと思います。専門を極めてこられた方々の講演には、専門知識に関してはいうまでもなく、日々の大学生活、レポート作成、そして卒論執筆に関しても多くの学びを得ることができます。来年は、比較文化学会が通常のプログラムで行われ、大学生活のアカデミックな側面を在校生と一緒に体験できることを願っています。
 相変わらず、イベリアの地を踏むことが叶わぬまま、2021年も後2週間ほどで終わります。今年は何をしていたかも「記憶喪失」に近い状態では明確に思い出せず、年女で還暦のメモリアルになるはずだった1年はコロナに翻弄されて間もなく終了です。
 この3月に卒業していった皆さんはどうされているのでしょうか。コロナ1年目の大変な時期に卒論執筆の4年ゼミ。ゆっくりお祝いする時間もなく卒業していきました。コロナ禍になって、昨年度の卒業生だけでなく、OGたちはどうしているのかと思うことが多くなりました。先週、卒論の提出が終わり卒業の時が近づいて来たことを感じます。1日でも早く卒業生の皆さんが自由に母校を訪れることができる日を楽しみにしています。

消え物係

米塚真治

 TVのバラエティ番組を見ていて、「消え物係」という語が耳に留まりました。そう呼ばれた人は、画面に映す料理を、スタジオの隅で調理していました。料理のように一回の撮影で「消える」小道具を用意するスタッフを、業界でそう呼ぶようです。
 自分も「消え物係」かなと、ふと思いました。私の日常の大半は授業準備に充てられており、授業も、その場で「消える」ものだから。
 しかし、やはり違うなと思い直しました。私は裏方でなく、出演している。
 では何に似ているのかと考え、思い至ったのは開業医です。「●●科専門医」を標榜する開業医。
 正確な診断を行うため、経験に加え、マニュアルや文献に目を通す。定期的に学会に出て、知識をアップデートする。実際、コロナ禍でZoom開催が増えたおかげで、今年度、私の学会出席数は過去最高を更新しつづけているのです。
 勤務医に比べ開業医は、自身の研究発表はあまりしない。するなら、扱った症例の発表。臨床経験をもとに一般書を出版する人も、中にはいる。このあたりも、いくらか似ています。私が発表した僅かばかりの文章の大半は、授業が元になっているので。
 ならば、私は病気の人を健康にするお手伝いをしているのか?といえば、それは違うでしょう。学生は病人ではない。
 むしろ私が授業で提供するものは、学生に咀嚼され、消えてゆく。消化されて養分になれば、それは僥倖。そう考えると、やはり私は「消え物係」なのでした。おあとがよろしいようで。

近況

渡邉顕彦

 年初は、去年在外研究で留守にしていた間に授業のオンライン化が一気に進んでいたのでびっくりしつつ対応に励みました。ただ特に前期はステイホームが多く、体を動かさないでいるうちにベルトの穴の位置もだいぶ変わってしまったように思います。
 夏は数日間、オーストリアに史料調査のための出張に行きました。去年もそうでしたが、今年も夏のヨーロッパではコロナ感染者数が大変少なく、昨年と比較しても街中の人流が非常に増えていることが感じられました。またワクチンパスも既に一般的になっており、ウィーンでは接種証明がないと外食も出来ない状態でした。ヨーロッパではアジアからの観光客は前と違いほとんど見かけませんでしたが、以前から現地に住んで働いておられる方々は通常通りの生活を(もちろん感染対策はしつつ)送られているようです。ただ日本やほかアジアの国々との自由な行き来が出来ないというのはそれなりに様々な面で大きな影響があると感じます。このような状況が早く改善されるようにと願うばかりです。
 後期は遠方には出歩かず、ただ対面授業は幸いかなり可能になってきたのでステイホームで重くなってしまった体を動かしつつ千代田に出てきています。やはり通常の生活はありがたいですね。昨今の騒動で普段通りの生活の有難さというのが身に染みて感じられます。
 研究では近世ヨーロッパで、ラテン語で書かれた日本についての文献を引き続き調査し、各所への原稿などを書いています。ただスロバキアから短期で受け入れる予定だった研究者の方が国境封鎖で中々来られないのが残念です。国内外で予定されていた学会も、オンラインになったものもありますが幾つかは中止または延期されています。
 自宅にいることも多いので、昔興味のあった近代史関係でも本を読んだり動画を見たりしています。ちょっとマニアックですみませんが、横浜生まれのイギリス人で第二次世界大戦中、ギリシャのクレタ島に潜入し対独レジスタンスの指揮をしていた人物がいたことを知り、彼自身や彼の仲間たちの書いた手記を最近読んでいます。古代ギリシャ語やギリシャ史を当時学校で習ったり大学で研究していたイギリス人たちが教育で身に着けた言語能力や地理・文化の知識をスパイ活動でも応用していたことがわかり個人的には大変興味深いです。またロシアも最近世界ニュースによく出てきますが、ロシアの近年の歴史映画やテレビ番組も英字幕付きで大量に動画が見られるようになっているので、かつて私自身アメリカの大学で一緒に学んだあちらの方々(1990年代には大勢アメリカにやって来ていました)とのやりとりも思い出しつつ鑑賞しています。外国に行きづらい時期ではありますが、読書や動画鑑賞で以前にも増して妄想旅行をしているというのが私の近況です。