ジョンソンゼミ

ジョンソン先生の3年比較文化演習一同

 私たちジョンソン先生の3年比較文化演習はジェンダーという出発点からはじめた。現代日本の女性には男女平等という目標がどのようにできたか。憲法の改革の役割から識別できる。その過程にベアテ・シロタ・ゴードン(1923年10月25日 – 2012年12月30日)の貢献を学んだ。
 ベアテシロタは、ウィーンで生まれて、1929年に5歳に両親と東京に引っ越した。ピアニスト兼ピアノ講師であった父親レオ・シロタは、日本は自分の職業に対して良い環境であった。ナチズムの脅威がヨーロッパで高まったので、ユダヤ人であった彼らにとって日本は比較的に安全だったベアテさんは育ちながら、家庭の母語ロシア語、家族のアストリアでの生活とドイツ学校からドイツ語を取得して、家庭教師からもフランス語と英語を習い、家の使用人と近所の児童達から日本語を学び、流暢になった。1939年にアメリカの大学に入学した。戦争中彼女は両親から引き離された。彼女の両親は軽井沢に強制疎開させられていた。1945 年、22歳で東京に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属して、その時彼女は両親と再会した。
 1946年にGHQ憲法草案制定会議のメンバーとして務めて、日本国憲法の人権条項の作成に彼女は強い影響力を持っていた。ベアテさんは日本国憲法第14条と24条に特に影響を与えた。どちらも女性の権利を保証している。明治憲法と民法によると男性と女性は、家族の長の法的な同意なしに自由に結婚することができなかったからである。第24条は、結婚における男女の平等を保証している。婚姻は、「両性の合意のみに基いて成立し」となった。未だ憲法は同性結婚を考慮していないし、憲法は夫婦が別の姓を選択する権利を確立するものではない。しかし、シロタ・ゴードンの影響により、日本における女性の地位の向上に繋がった。比較文化演習では、これらの戦後新憲法における法原則の理解を利用して、現代日本人女性の立場を引き続き検討した。