佐藤円ゼミ

学校制服を「身にまとう」―限定される個と抑制する社会―

束田深桜

 本稿では、校則で規定されている学校制服について、それが当たり前に存在し続ける仕組みについて明らかにしようと考え、学校制服を着⽤させる側と着⽤する側それぞれの視点から考察を試みた。
 まず第 1 章では、学校制服の歴史的背景を追うことで、⻄洋優位的な発想から洋装の制服が優位な者の象徴となり、それが男性のみに採⽤されたために男⼥で学校制服の成立までに格差があったこと、またそうして成⽴した学校制服は男⼥で異なる様式になったことを説明した。第2章では学校制服はもちろん、学校制服を語る上で不可⽋な下着や頭髪といった外⾒に関する校則で問題視される事例全般を取り上げることで、⽇本の校則規定の現状がいかにステレオタイプのジェンダー観や「⽇本⼈」のイメージを基にしているかについてまとめ、その暴⼒性について論じた。そして第3章では、まず広義で捉えた制服の機能について先⾏研究を基に整理し、そのなかでも学校制服に関する規則の歪みに焦点を当てて論じた。さらに各章で追ってきた制服の機能や歴史、そこに根付くジェンダー観から、学校制服を着⽤させる側と着⽤する側にはどのような立場や事情が考えられるか、またそれぞれの⼼理を分析し、制服が存在し続ける仕組みについて論じた。
 以上の分析から、学校制服は成⽴の段階で⽣徒を⽀配するための道具として⽤いられるようになり、現在はもはやそれを機能させるために定めた校則の方が⽬的化しているため、校則を守らせるために指導する教師ら管理者側と、ルールを守らないと内申点に影響するといったデメリットがあるために不満を抱えつつも学校制服を受容する⽣徒側がいることが明らかとなった。ここから、⽀配関係の枠組みが存在し続けるのには、それに不満を持っているはずの生徒側にも要因があることも明らかになった。学校制服を「⾝にまとう」ことは⽣徒側の価値観や選択の意思といった個の自由を限定しており、それは社会全体が創る「主流社会」に個を当てはめようと社会が抑制している表れだが、同じく社会に⽣きる⽣徒⾃⾝もまた、⾃⼰規制することによって「主流社会」に溶け込もうとしている部分があると言える。
 さらに学校という小さな社会で⾔えることは、実際の社会に置き換えることもできる。権⼒関係は⼒を振るう側が従うことを押し付けている部分と、被⽀配者側が諦めであろうとそれを受容している部分がある。学校であろうと一般社会であろうと、⽀配者側の押し付けが存在することと、被⽀配者側が制裁を恐れて支配を受容せざるを得ないという同調圧を被支配者間で強めることが、一層⽀配に対抗しようとする者の声をかき消していると言える。それゆえ⽀配者側だけではなく被⽀配者側も、それぞれが無⾃覚であったとしても状況によっては個の⾃由を奪っていることに⾃覚的になるべきだと結論付けた。