佐藤実ゼミ

高等学校国語教科書における白居易の位置づけ

市東沙彩

 本論文は高等学校国語教科書における白居易の位置づけを、教科書に白居易の作品がどれだけ掲載されているのか、どのような作品が掲載されているのかを調査することで解明しようとするものである。また、教師用指導書と学習指導要領における位置づけについての考察も行なっている。考察するにあたり、「詩仙」「詩聖」と評され、詩人のトップに位置づけられる李白と杜甫を参照軸とした。
 第1章では、三者を比較するうえで必要となる基本的な情報を先行研究に従って概観している。李白、杜甫はなかなか任官に就くことができなかったが、白居易は若いうちから任官に就くことができるなど三者の人生はそれぞれ異なるものであった。評価については、生前から評価されたり、死後に評価されたりと時期は異なるものの三者ともに現代にわたって高く評価されていた。
 第2章では、教科書における三者の作品の掲載数の比較について記載している。第1節では平成21年改訂版の現行の学習指導要領の必履修科目である「国語総合」と選択科目である「古典B」の教科書における三者の作品の掲載数の比較を行い、国語総合の教科書においては三者の位置づけに差異はないという結果が得られた。
 この結果を踏まえ、第2節では年代別の必履修科目の教科書における比較を行うこととし、国語総合と昭和53年改訂版の「国語I」、昭和43年改訂版の「古典I甲」の教科書における分析を行い、どの年代でも必履修科目の教科書における位置づけは、三者ともに同等のものであるという結果が得られた。
 第3節では、教科書に掲載されている作品の種類についての分析と比較を行い、特徴を抽出した。その特徴から、三者の作品の教科書における教材設定の意図についての考察を行なったところ、李白の作品は絶句を学ぶため、杜甫の作品は律詩を学ぶための教材として、白居易の作品は日本文学と中国の漢詩との関連を示すための教材として掲載されている可能性があると考えられた。
 第3章では教師用指導書と学習指導要領を参考に、前章までに生じた疑問点に対する考察と教科書における白居易の位置づけについての考察を行なっている。第1節では第2章第1節で生じた、古典Bの教科書においてなぜ李白と杜甫の作品の掲載数と比べて白居易の作品の掲載数が少ないのかという疑問点について、教師用指導書に記載されている内容から、第2章第3節でも触れた三者の作品の教科書における教材設定の意図についての考察を行い、国語総合とは異なる選択科目として、漢詩の決まりの基本を学ぶための教材である李白と杜甫の作品が優先して掲載されるためではないかと考察した。また、国語総合の教師用指導書における三者の位置づけは、教科書と同様に同等のものであると考えられた。
 第2節では年代別の必履修科目の学習指導要領を参考に、教師用指導書において学習指導要領の内容がどのように反映されているのか、また、各年代の学習指導要領における白居易の位置づけについての考察を行なっている。位置づけについての考察に関しては、本論文を通して得られた結果から、白居易のみでなく李白、杜甫、及び漢文についての考察となっている。どの年代の教師用指導書においても学習指導要領の、場面や心情を読み取ることで想像力を伸ばすという点が反映されており、学習指導要領における漢文は、漢文のきまりなどの文法ではなく、場面や心情を読み取ることで想像力を伸ばすことを重視し、古典への興味を持たせるためのものとして位置づけられていると考えられた。ただし、古典I甲の学習指導要領には漢文のきまりなどの文法に関する記載もされており、国語総合と比べると古典I甲における漢文の位置づけは高くなっていると考察できた。
 本論文を通して、必履修科目における三者の位置づけは同等のものであるという結果が得られたが、漢文自体の位置づけは古典I甲から比べると国語総合では低くなっていると考えられる。