城殿ゼミ

映画と貧困 ―貧しさを映す意義―

宇田川明日香

 低予算、素人のキャスティング、決して華美ではない映像、これらが合わさった非商業的な映画を撮る意義と観る意義はなんだろうか。
 本論文の中では「貧困」に焦点を当て、職に就きつつも生活が苦しい状況・職に就きたくても就くことができない状況に絞り、その状況に陥った理由と解決のための課題を明らかにする。また範囲は取り上げた映画の国に限ることにする。貧困がその国だけで起きている問題では無いことを、始めに示しておく。尚、取り上げる作品に重点を置きたいため、国を絞った。本研究の目的は、非商業的な映画を撮る意義と観る意義を考察し、映画の可能性を見出すことである。
 研究方法は、労働と経済に関する歴史を振り返り、経済格差が生まれてきた経緯を調べる。また、今回取り上げる作品は次の通り。
(1) 1948 年 イタリア映画 『自転車泥棒』 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
(2) 1969 年 日本映画 『少年』 監督:大島渚
(3) 1999 年 ベルギー/フランス合作映画 『ロゼッタ』
  監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
(4) 1966 年 イギリス・TV 映画 『キャシー・カム・ホーム』 監督:ケン・ローチ
(5) 2016 年 イギリス映画 『わたしは、ダニエル・ブレイク』 監督:ケン・ローチ
(6) 2019 年 イギリス映画 『家族を想うとき』 監督:ケン・ローチ
 この 6 作品を取り上げ、情報をまとめた上でキャストや監督らが映画を通して伝えたいことの違いを比較する。順番は古い作品から新しい作品に向かって取り上げていく。
 この 6 本の映画は監督の意思や主張を反映している。撮る意義はそこにある。取り上げた監督らは、主人公らが怠惰による貧困ではないことを示し、静かに、でも確かに怒りを持って作品をつくりあげた。観る意義は「共感を生み」、「偏見を無くす」ところにある。貧困を可哀想なものという目線ではなく、ただ生きているという目線で描いた映画は、観た者に共感を与える。
 商業的な映画だけがこの世界に存在してしまうと、観客(民衆)の価値観を凝り固めてしまう。映画は多様性に満ちているべきである。