特別講義要旨

授業内特別講演会「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」

京都国立近代美術館 学芸課長 池田祐子

 本講演では、2021年11月から2022年5月にかけて京都国立近代美術館と三菱一号館美術館で開催された同名展覧会に関連して、芸術爛熟期のウィーンに生まれ、ウィーン工房の一員として活躍し、結婚を機に京都に移り住んで活動をつづけたデザイナー、上野リチを採り上げ、その教育的社会的背景と制作状況、さらにはウィーンと京都という両都市での活動内容についてパワーポイントで資料を示しながら解説した。
 上野リチ・リックス(Felice [Lizzi] Rix-Ueno, 1893-1967)は、富裕な実業家ユリウス・リックスとヴァレリー夫妻のもと、四姉妹の長女としてウィーンに生まれた。また祖母のヴィルヘルミーネは、美顔クリームの製造販売を手がける起業家でもあった。ウィーン工芸学校で建築家ヨーゼフ・ホフマンらに学び、卒業後は1903年に設立されたウィーン工房の一員として「芸術家工房」に所属して、主にテキスタイル部門とファッション部門で活躍し、数多くの優れたデザインを残している。特に、リチがデザインを手がけたテキスタイルは工房の同僚たちからの人気も高く、彼らがデザインしたドレスやクッションなどにも頻繁に使われた。またウィーン工房の注目すべき特徴として、数多くの女性デザイナーが活躍し、工房の活動を支えていたことが挙げられる。
 リチはウィーン工房在籍中、ホフマンの建築事務所に勤務していた日本人建築家上野伊三郎と知り合い結婚。二人は伊三郎の郷里である京都に建築事務所を構え、個人住宅や商業施設の設計・内装デザインを手がけ、その中でモダンと装飾、さらには和と洋の融合を目指した。京都での仕事の傍らリチは、1930年まで引き続きウィーン工房の主要デザイナーとして、京都とウィーンを往来して活動を続け、工房脱退後は、群馬県工芸所や京都市染織試験場の嘱託としてデザインを提供し、特に1935年から44年まで在職した京都市染織試験場では、生活の洋風化への対応や輸出振興に即したテキスタイル・デザイン創案に従事している。
 第二次世界大戦後は、稲葉七宝や吉忠といった京都の企業と協働した作品を生み出す一方、教育者として、夫の伊三郎とともに京都市立芸術大学に勤務し、デザイン基礎理論の教授を通して、多くの学生に強いインパクトを与えた。彼女の最後の代表作が、建築家村野藤吾の依頼を受け学生たちとともに制作した、東京・日生劇場の地下にあったレストラン「アクトレス」の壁画装飾である。ウィーン工芸学校やウィーン工房での経験に基づき、教育現場でリチは、過去や他者の模倣を厳しく戒め、たとえ拙くとも自らの創造性を羽ばたかせることを重視した。それを彼女は「ファンタジー」という言葉で表現している。
 ウィーン工房では多くの女性が活躍していたにもかかわらず、生涯キャリアを継続させ、さらにはその内容を検証しうるだけの作品を残したデザイナーは、この上野リチを含めてほんのわずかしかいない。それゆえ、ウィーンと京都での彼女の活動を振り返ることは、国境を越えた知られざる20世紀デザイン史を知ることに他ならないと言えよう。

日時 2022年1月26日 13:00-14:30
場所 大妻女子大学千代田校G棟425講義室
授業名 ヨーロッパ研究入門(ドイツ文学と芸術)
担当 岩谷秋美