教員国外研修報告/2019年度国外研修報告

上野未央

 中世のロンドンは、北西ヨーロッパにおける重要な交易地であり、様々な人やモノが行き交う場でした。商人だけでなく、職人や芸人なども、ブリテン諸島や大陸ヨーロッパの各地からロンドンを訪れました。中にはロンドンに一定期間暮らした人もいました。彼らのような、中世ロンドンにやってきた「外国人」に注目することで、ロンドンの都市社会を「外」との接点から見直してみたいと考えています。このような関心をもち、科研費の助成を受け「中世後期ロンドンの「外国人」と都市社会」(2016年度~2018年度、基盤研究C)を行いました。2019年度にロンドン大学歴史学研究所において行った研究は、その延長線上に位置しています。具体的には、中世の「外国人」をめぐる研究上の問題点を整理し、ロンドンにおける「外国人」の出身地や居住地に関する調査を行いました。また、彼ら「外国人」の残した遺言書の収集・調査を行いました。
 「外国人」研究にともなう問題としては、そもそも「外国人」とは誰だったのかという問題があります。イングランドでは、中世後期から、イングランドの他の都市や地域からやってきた「よそ者」とは区別して、「イングランドの外から来た人々」が意識されていたことが明らかになっています。中世イングランドで「よそ者」を指して用いられた語にはstrange、foreign、alienなどがありましたが、strangeとforeignは「よそ者」一般を指して用いられたのに対し、14世紀半ば以降、alienは「イングランド王の支配領域外の出身者」を指して用いられることが多かったとされます。
 このように中世イングランドにおける「外国人」をとりあえず定義することはできるのですが、実際に誰が「外国人」とされたのかは、時と場合によって異なりました。また、「外国人」の中にも、出身地や職業によって異なるグループがあったことも明らかになりっています。「外国人」としてロンドンに来た人が、後にロンドン市民となった例もあります。中世ロンドンにおける「外国人」のあり方は、流動的で、かつ多様であったといえるのです。
 ロンドンにおける「外国人」のあり方をこのように整理したうえで、15世紀ロンドンに居住した「外国人」について、彼らがどこから来て、市内のどこに暮らしたのか、また何を職業としていたのかについて整理しました。この研究成果は、2020年に発行された『大妻比較文化』に、論文として発表しました[拙稿「15世紀ロンドンにおける「外国人」-出身地と居住地から-」『大妻比較文化』21(2020年)]。
 次の課題として、個々の「外国人」がロンドンでどのような人間関係を結んだのか、どのように暮らしていたのかということを、少しでも明らかにしていきたいと思います。そのために、彼らが残した遺言書を史料として利用します。これまでにも史料収集を行ってきましたが、2019年度にもロンドン市立文書館に残された遺言書の収集と読解を引き続き行いました。今後は遺言書と他の史料をあわせて検討することで、「外国人」がロンドン社会とどのような接点をもち、どう生きたのかということを考えていきたいと思います。また、研究過程で、中世ロンドンにおいて、どのように「外国人」が区別されたのかという問いも浮かび上がってきました。この問いに取り組むために、中世ロンドンの年代記を史料として利用できるのではないかと考えています。この課題にもこれから取り組んでみたいと思います。
 研究を行う中で、あらためて問題に気付かされたこともあります。2019年には研究書Immigrant England, 1300-1550(Manchester University Press)が刊行されました。この本で私が気になったのは、タイトルにalienではなくimmigrantという語が用いられたことです。immigrantという語は、研究上の用語であり、中世の史料で「外国人」を指して使われることはありませんでした。この本では、具体的に中世の「外国人」について論じる本論部分では、immigrantという語は使われず、史料上の用語alienが多用されています。にもかかわらず、タイトルにimmigrantという語を使っているのです。その背景には、2019年、イギリスがEU離脱問題に揺れていたということがあると思われます。この本は、中世以来のイングランドと大陸ヨーロッパとの密接な関係性を、広く読者に伝えることを目的としていますが、alienという語をタイトルに使うことで誤解を招く可能性があると考えられたようです。現在、「外国人」というテーマは注目されている一方で、非常にデリケートなテーマでもあるのです。私自身、中世の「外国人」について注意深く論じていく必要があるとあらためて思いました。
 また、2020年2月にはロンドン郊外のルイシャムのショッピングセンター内に開館したばかりのMigration Museumを見学しました。この博物館では、イギリスにやってきた移民たちのライフ・ヒストリーを集めようという試みに触れることができました。個人の「語り」を中心に据えた展示が主体となっていたことが印象的でした。たとえば、個人の写真の下にその人の経験が書かれている、といった具合です。ルイシャムは、ロンドンの中でも移民が多く暮らす地区であり、そのような地区で人が多く集まるショッピングセンター内に博物館を作るということにも、意味があるのだと思いました。他には、研究と教育の融合についても考えることがありました。ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジは2034年に向けて教育と研究の融合を目標の一つとし、そのための事例研究が進められていました。難しいことだとは思うのですが、比較文化学部での教育活動に、このような取り組みも参考になるのではないかと考えています。
 さらに、ヨークやサウサンプトン、エクセターなどのイギリスの都市や、ベルギーの都市ブルージュやブリュッセルなども訪問し、資料収集を行うことができました。また、先ほども書いたように、2019年、イギリスはEU離脱をめぐって揺れ動いており、そのような時期にロンドンで過ごしたことは貴重な経験となりました。これらの経験を、比較文化学部での授業に活かしていきたいと思っています。