ジョン・フォードに関する「作家主義」的評価の再考察

田中朱音

城殿ゼミ

 本論では、アメリカの映画監督であるジョン・フォードに対する「作家主義」的評価はなぜ遅れて生じたのか、という点に注目した。ジョン・フォードは、「西部劇の巨匠」と呼ばれ、作品内に表現される抒情性などから、アメリカを代表する映画監督の一人として広く知られている。映画史の早い段階から、フォードに対する批評的言説は多かったが、不可思議な点がある。それは、主に70年代から80年代にかけて、彼に対する「作家主義」的な評価が始まるということである。1950年代から始まり80年代まで盛んであった「作家主義」は、「ヒューマニズム」をうたう映画を否定し、商業主義的な映画作品を撮る監督たちを擁護することが目的であった。そうした「作家主義」的な批評方針に反するヒューマニスティックな映画を撮り続けてきた監督であり、アメリカ国内外で既に高く評価されていたフォードを、なぜ「作家主義」の批評家たちは、遅れて再評価する必要があったのだろうか。このことの原因について、先行するフォードに関する書籍内では、作家主義の方針である古典性の排除や作品内に見られる道徳感が原因ではないか、と指摘されてきた。しかし、それ以上の詳細な探求はなされていない。そのため、同世代の監督たちに関するインタビュー記事、及び批評的言説と照らし合わせて、フォードに対する「作家主義」的な評価をなぜ遅らせる必要があったのかについての再考察を試みた。
 まず、彼自身に関する批評的言説を参照し、フォードはどのような映画監督とみなされてきたのかについて再確認を行った。その結果、フォードは、戦前では、西部劇映画や会社に依頼された作品を大量生産する「職人」である一方で、人間を真摯に見つめリアルに描き出すことができる詩人であるということ。また、戦後は、激しい時代の流れに柔軟に対応する映画監督とみなされてきたことが分かった。
 このように比較的好意的な評価がなされてきた中で、なぜ「作家主義」の観点から再評価する必要があったのかについて考察するために、まず、「作家主義」とは何であったのかについて見直しを行った。そして、1960年代から80年代にかけてのフォードに対する「作家主義」的な評価と、フォードと同世代の監督たちで早くから「作家主義」の対象とされてきた、ハワード・ホークスとアルフレッド・ヒッチコックについてのインタビューや批評的言説との比較を行った。その結果、ホークスとヒッチコックは、自らを「商業主義」的でジャンル映画を撮り続けてきた監督であると公表しているが、フォード自身は映画監督としての立場を明確にしていないということが分かった。
 結論として、フォードの「作家主義」的な評価が遅らせられた背景には、彼の映画監督としての立場が不明瞭であったことが関係していると考察した。また、フォードに対する再評価を行う必要があったのは、戦後の「赤狩り」時代の有名な発言によって、「西部劇」というジャンル映画を製作する監督としてフォードの立場が明確になったからであると共に、「作家理論」という欧米的な批評態度の流れを持続させるためであったと考えた。