『蒼穹のファフナー』は、存在を問う物語である。
作中に登場する高度思考生命体フェストゥムは、ミールを核として全体で 1 つの思考を
共有し、自他の区別を持たない共依存者と近しい特徴を持つ。そこから脱するための境界線
は本作において「傷」というかたちで表現され、存在を示す証となった。「痛み」で自らの
存在を自覚した皆城総士は、フェストゥムにもその痛みや苦しみを教え、「自己」という概
念を持った彼らに“個体”であることを与えた。この苦痛を乗り越えた先に、生きていること
の実感という喜びがあるため、人は存在することを選べることを知る。
物語の軸となる「会話」も、自分と他人を存在させ、人間を人間たらしめる境界線の 1 つ
である。作中の少年二人は、自分に責を感じて会話を避けたり、理解することを相手に任せ
きりにしたりしたことですれ違う。人が人として相手を理解するためには、自ら歩み寄り、
言葉にして伝える必要があることを伝えている。会話を求めることは人間として生きる証
であり、また自分を知るためにもそれは大きな力を発揮する。
フェストゥムと人間が与え合う「祝福」は、異文化間の生き物たちの相互理解の表れであ
り、共存への第一歩だ。ミールが総士に与えた「永遠」は存在と無の循環で、運命を受け入
れた彼は己を「祝福」するとともに、生と死を繰り返しながらフェストゥムに「痛み」を学
ばせ続ける。ミールが真壁一騎に与えた「祝福」は生と死の循環を超え、存在で居続ける命
で、運命を受け入れた彼は己を「祝福」し、世界に満ちる「痛み」の傷を塞ぐ癒しの力をふ
るう。傷をつける自分を否定していた一騎が存在することを肯定し、選択したことにより、
なせる技であった。彼らは己の存在を肯定し、その存在の意味を探し続けるために、これか
らも存在していくのだろう。