聖母マリアのイメージの変遷
—古代からルネサンスまでのマリア信仰とそのイメージ

木口綾果

貫井ゼミ

 本論文のテーマは「聖母マリアのイメージの変遷」である。今でこそマリアはキリスト教において重要な役割を持つ存在であり、人々はマリアを母なる存在と捉えて祈りを捧げている。しかしそのイメージは、キリスト教が成立した頃から持たれていたのかということに疑問を抱いた。そのためテーマを「聖母マリアのイメージの変遷」とし、本論ではキリスト教の基盤である文字情報と視覚情報の観点からイメージの変遷を辿った。
 第1章はマリア信仰に至るまでの経緯と歴史を追う。マリアのイメージの根源にはエジプトやメソポタミアといった古代オリエント世界において信仰されていた女神の存在があるとされている。このことから、まず第1節では古代信仰における女性とはどういった存在であるかを考察すると同時に、マリアに習合されたと考えられている女神イナンナとイシスの特徴をまとめ、マリアの着想源となった要素を考察する。第2節ではキリスト教が信仰され始めた時代からルネサンスあたりまでのマリア信仰の歴史を追い、どのような経緯で信仰は進み、人々から受け入れられてきたのかを明らかにする。また東方が西方よりもマリアへの信仰が早かった原因やマリアを受け入れやすかった理由、そしてなぜ聖書に詳細が書かれていないマリアへの信仰が続いているのかという疑問についても触れる。
 第2章はキリスト教において重要な文字情報である福音書と、成立してから多くの信者たちに影響を与えたマリアに関する外典「ヤコブ原福音書」と偽典「黄金伝説」を取り扱う。こうした成立年月が異なる文字情報から、各時代にマリアがどういったイメージを持たれて崇拝されていたのかを考察する。第1節では正典である4つの福音書を引用し、第2節ではヤコブ原福音書と黄金伝説を引用すると共に、物語の比較も行う。
 第3章では美術作品を取り扱う。マリアを描いた作品の制作は今も続いているが、その歴史は現在3世紀まで遡ることが可能である。第1節ではルネサンスまでの歴史の移り変わりに伴う題材の変化をルネサンスまでの代表的な宗教美術作品を提示しながら説明して、作品から当時の人々が認識していたマリアのイメージを分析する。第2節では視覚的イメージの代表として絵画を例に、マリアを描いた絵画は人々が思い浮かべるマリアのイメージにどのように作用したのかを考察する。この節ではマリアを象徴する赤、白、青といった色の意味を文献から引用して色はマリアの何を示しているのかを探る。加えて17世紀に著された図像解釈を引用して、マリアの容姿の定型がいつ頃から定められるようになったのかということにも触れた。
 これらの本論からは、現実の母のようなマリアのイメージは初めから存在していたものではないこと、そして権力者にとっては自身の権威の正当性を保つための道具として、民衆にとってはあらゆる苦しみから救われたいという救済の願いを祈る対象としてなどと、信仰心からイメージは変化したのではなく利益のために人が利用したことによってマリアのイメージは時代と共に変化したということが導き出せたのではないだろうか。