本論文は、筆者が映画やドラマなどのメディア接触を通じて抱いた個人的なジェンダー規範への違和感を研究の動機とする。その問題意識は、日本社会において男女雇用機会均等法の制定や育児休業制度の整備が進む一方で、2025年時点でのジェンダー・ギャップ指数ランキングで日本は148カ国中118位と依然として低い水準にあるという、制度的平等と文化的・社会的実態との間に存在する構造的な乖離に焦点を当てる。本研究の目的は、この乖離の根源にある文化的・意識的基盤を、明治・大正期から現代に至るメディア表象の変遷から解明し、メディアが特定のジェンダー規範を構築し、イデオロギーを流布する「言説装置」として機能してきた過程を歴史的に分析することである。
まず第1章では、明治・大正期に明治民法と女子高等教育令に基づき、女性を家庭に固定化する「良妻賢母主義」が規範として確立されたことを整理した。一方で、「女学雑誌」から「青鞜」へと続く女性言論は、この規範に対し「自我の発見」という揺らぎを生み出し、女性が「語られる存在から語る主体へ」と転換する萌芽を示した。
続く第2章では、日中戦争以降の戦時体制下において、メディアが女性像を「銃後の守り」や「国家のための母」として政治的に再定義した過程を分析した。女性の役割を公的使命として政治化するこの構造は、戦後も断絶せず、高度経済成長期に「専業主婦」という形で規範として連続的に再生産された。これにより、女性の役割を家庭領域に限定する文化的基盤が強固に継承されたことを明らかにした。
第3章では、男女雇用機会均等法施行以降のテレビCM分析を通じ、制度的変化にもかかわらず、消費文化(広告)において「男性は仕事、女性は家庭」という固定的な二元論的表象が温存・強化されたメカニズムを明らかにした。この結果は、法制度の整備だけではメディアのジェンダー言説構造は容易に変わらず、現代日本のジェンダー問題の構造的な根深さを維持してきた主要因であることを示している。
第4章では、現代社会におけるメディアの多様化とジェンダー理解への可能性を考察した。SNSの普及は、個人による多様な生き方を可視化し、固定的な規範を相対化する契機を生み出しつつある。一方で、情報が極端化しやすい「フィルターバブル」現象を通じて、ジェンダーをめぐる言説が分極化しやすいという両義的な課題も指摘した。
これらを総合し、本論文はメディアが単に社会を反映するのではなく、ジェンダーの「言説の成立」「再生産」「再編」に深く関わる両義的な中核的社会的装置であることを確認した。メディアの影響力は、ジェンダーを固定化する危険性と、反対に問い直す可能性の双方を内包する。結論として、真のジェンダー平等達成のためには、メディア制作者側が自身の無意識的なアンコンシャス・バイアスを排除した倫理的規範を確立すること、そして受け手側が、メディアが構成する現実を主体的に問い直す批判的メディアリテラシーを不可欠な素養として身につけることの重要性を提言する。本論文が読者にとってメディアを通じたジェンダー観の見つめ直しと意識変革の契機となることを期待する。