本論文は、20世紀スペインにおいて全盛期を迎えていたフラメンコが低迷へと移行した要因を考察し、その後の再生過程を明らかにすることを目的とする。
第1章では、フラメンコの基本的特徴と成立過程について整理した。フラメンコは多様なリズム形式と、カンテ(歌)、バイレ(舞踊)にある即興性を特徴とし、個人の内的感情の表出を核として発展してきた芸能である。その成立には、ジプシーが北インドからアンダルシアまでの移動過程で受け継いだ音楽要素に加え、アンダルシアに蓄積されたイスラーム、ユダヤ、キリスト教など多文化の音楽要素が深く関わっている。また19世紀後半にはカフェ・カンタンテが広まる。フラメンコが私的領域から公共空間へと広がり、主要なリズム形式や芸能としての枠組みが確立した。これらの過程から、フラメンコは多文化の融合と個人の感情表現を基盤として成立してきた芸能であることが明らかとなる。
第2章では、フラメンコが20世紀半ばに低迷へと移行した要因を検討した。先行研究では、大衆歌謡クプレの流行が主要因として挙げられてきた。クプレは軽快で理解しやすいリズムと歌詞を特徴とし、深い感受力を求めるカンテよりも大衆的魅力をもっていたためである。しかしフラメンコは形成初期から多文化を柔軟に受け入れながら発展してきた芸能である。そのため外来表現の導入は本質の喪失に直結しないと結論づけた。むしろ演者自身が必要と感じた表現を選び取り、そのリズム形式などのレパートリーが広がった側面もある。そこで本章では、低迷の決定的要因としてフランコ体制下の検閲制度に注目した。フランコ体制下では、出版法によって書籍だけでなく、映画・演劇・音楽といった幅広い表現媒体が検閲の対象となった。フラメンコも例外ではなく、実際にレコーディングのでは、カンテの歌詞が修正された記録が残されている。また、検閲の影響はカンテだけにとどまらず、バイレの上演、さらには野外ライブにおいても、警察や政府の監視を意識せざるを得なかったとされる。こうした状況は、フラメンコが本来最も重視してきた個人の内的感情の表出を大きく制限し、芸能としての自由度と即興性の縮小を示すものであると推測した。
第3章では、フラメンコが低迷から再生へと向かった過程を検討した。フランコ体制末期から観光政策が積極的に推進され、スペイン文化を国外へ発信する試みが進んだことで、フラメンコは再び注目を集めるようになった。またタブラオの普及やレコードディングの活性化により、フラメンコは再び生の舞台で披露される機会が増えた。この影響で観客と演者が直接交流する空間が発展したことも再生の後押しとなったのである。さらに最新のアンケート調査を基に、フラメンコが観光資源として発展する一方で、芸術的本質をどのように維持していくかが現代の課題であることが示された。
以上の検討から、フラメンコの低迷は外来文化の流行ではなく、フランコ体制下の文化統制によって表現の自由が制限されたことが大きく影響していたことが明らかになった。そして再生の過程には、観光政策による上演機会の拡大とタブラオの発展が存在し、フラメンコは再び社会的需要を得たといえる。本研究は、政治的状況と芸能の関係性を示す一例として意義を持つとともに、今後の課題として、観光的価値と芸術的本質の両立をいかに図るかが挙げられる。