スペインやイタリアと日本の関係について学ぶ中で、最も印象に残ったのは1582年に派遣された天正遣欧少年使節である。九州のキリシタン大名である大友宗麟・大村純忠・有馬晴信らが、イエズス会の協力のもとヨーロッパへ少年たちを派遣したこの出来事は、日本が初めて本格的に西洋と外交的・文化的交流を行った事例といえる。彼らはローマ教皇グレゴリウス13世をはじめとする各国の王侯と謁見し、日本という国の存在をヨーロッパに知らせた。また、彼らは初代バチカン大使ともいえると説明があり、確かにそうだと納得した。この使節の意義は単なる宗教的使命にとどまらず、異文化理解と国際交流の先駆けとなった点にある。当時の日本が「西洋を知り、同時に自国を発信する」という姿勢を持っていたことは、この出来事が今日の国際関係にも通じていると思った。また、武力や経済力によらず、文化・芸術・信仰を通じて国の存在を伝える「ソフトパワー外交」や「ハードパワー外交」など初めて知る単語もあり興味深かった。
この授業を通して、天正少年使節は単なる歴史上の珍しい出来事ではなく、日本が世界と向き合い始めた象徴的な一歩であったことを実感した。このときにもし使節が外交を行っていなかったら日本はまた違う歴史を歩んでいたのかと思うとドキドキする。
また、天正遣欧少年使節が食べたチョウザメのエピソードも印象に残っている。彼らは教皇への謁見の際、祝宴で巨大なチョウザメ料理を目にしたと記録されている。当時の日本では海魚中心の食文化で、淡水魚であるチョウザメはまったく知られていなかった。その異様な姿や大きさに少年たちは驚き、西洋文化の豊かさと異質さを強く感じたという。この出来事は、単なる食文化の違いを超えて、「異文化との出会い」がどれほど強い衝撃をもたらしたかを象徴していると感じた。講演の中で先生が仰っていた「海外の食事はお腹の中で行われる食の国際交流だ」という言葉が印象的だった。
チョウザメは単なる魚ではなく、当時のヨーロッパにおける権威や祝福の象徴でもあった。私はこの逸話を通して、文化交流とは単に知識や技術を学ぶだけでなく、相手の「生活や象徴」に触れることでもあると実感した。天正少年使節の体験は、まさに日本が世界を“体感”し始めた瞬間だったと思う。
また「令和遣欧使節2024」は、慶長遣欧使節団の足跡をたどり、スペインやイタリアで交流を行う現代版の使節団として実施されたとわかった。支倉常長の子孫や一般参加者が現地を訪れ、“ハポン”姓をもつ人々との再会を果たしたことが印象的だった。音楽や式典を通して文化的なつながりを再確認し、400年前の交流が今も続いていることに驚いた。歴史をただ学ぶのではなく、実際に現地で体験し、過去と現在をつなぐことの大切さを改めて感じた。支倉都市同盟がこれからどうなるのかわたしもぜひ情報を追いたいと思った。
今回の特別講義の中でも印象に残ったのは、支倉常長の子孫の方のお話とチョウザメに関する話である。チョウザメが当時は8メートル近くにもなる個体が存在したと聞き、非常に驚いた。また、私は実際にチョウザメの卵を食べたことがないため味の想像がつかなかったが、食感は粒々していないという説明を聞いて、どのような味なのかぜひ一度食べてみたいと思った。
支倉常長の子孫の方の話では、彼が通商交渉の代表としてスペインやヨーロッパに日本を広く知らしめた人物であることを初めて知り、強い印象を受けた。現在でもスペインのコリア・デル・リオ村に支倉常長の銅像が建てられていると知り、それほどまでに国外でも尊敬されていることに感銘を受けた。、支倉常長のように海外で銅像が建てられるほど称えられた日本人は他にいるのだろうかと疑問に思った。
講義の後、自分で調べてみると、支倉常長の銅像は世界で少なくとも6体、あるいはそれ以上存在するという情報を見つけ、さらに驚いた。それと同時に、彼はもっと広く知られるべき日本の歴史人物だと感じた。彼が実際にヨーロッパへ渡り、異なる文化や宗教に直接触れたという事実は、私にとって「異文化理解とは何か」を深く考えさせるきっかけとなった。異なる価値観や信仰を持つ人々と向き合う難しさ、そしてそれを乗り越えて交流を築こうとする姿勢は、現代社会にも通じる普遍的な姿勢だと感じる。私も将来、支倉常長のように自ら異文化の現場に身を置き、学びを通して人と人、国と国をつなぐ存在になりたいと思う。