文学研究の醍醐味の1つは、「個」の問題について考えることであることを再確認できるご講演でした。西洋の文学は、「イギリス人であるこの私」という概念を、文学を通して定着させていきました。19世紀までに書かれた日本でも人気の高いオースティンやシャーロックホームズシリーズも例外ではありません。それらの根底には、他でもない「わたし」という確固とした自己観があるのです。これらの概念をめぐって、20世紀初頭の作家たちは悩み、それを時に打ち崩そうと試みるわけですが、特に東洋という他者を前すると、西洋人としての「個」の概念はしぶとく存在感を露にするのです。
今回の有満先生のご講演の趣旨は、このような西洋的な個の概念が、多文化社会となったオーストラリア社会では揺らいでいることを指摘することにありました。ナム・リーという作家を例に挙げながら、「一国家・一文化・一言語」という概念がもはや必ずしも自明のものでないことが説明されました。共通の何かを持つ国民国家を前提として小説が書かれるわけではないという。現代の文学の動向を学ぶ貴重な機会となりました。