2025年、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器を新たに習い始めました。ヴィオラ・ダ・ガンバは、16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパでさかんに使用された楽器です。チェロに似ていますが、系統は異なり、チェロが「ヴァイオリン属」であるのに対し、ヴィオラ・ダ・ガンバは「ヴィオール属/ガンバ属」です。「脚のヴィオラ」という意味の名称の通り、足で挟んで演奏し、弓の持ち方も独特です。コンサートホールのような大きな場所で演奏がなされるようになると、金属弦のチェロが多用されるようになり、ガット弦(羊の腸などで作る)で音の小さなガンバはすたれてしまいました。しかし、現在、「古楽ブーム」が起こっていることもあり、再注目されている楽器です。
たまたま楽器制作者の方の工房に行く機会があり、そこで見たガンバの美しさ、音の心地よさにひかれ、縁があったということか、あれよあれよという間にガンバ奏者の先生を紹介してもらうことができました。まだ音が出せるようになった程度ですが、先日は他の方々と一緒にコンソート(合奏)にも参加させてもらい、音楽のもたらす心への良い影響を実感しています。
さて、私の研究対象である「宮沢賢治」に関していうと、なんと宮沢賢治が大正期に書いた原稿の中に、このガンバのことが記されています。音楽教師をしていた友人を念頭に、「ピアノではなくガンバを手入れるべきだ」という内容の詩の下書きを遺しているのです。 宮沢賢治がチェロを習っていて楽器も持っており、「セロ弾きのゴーシュ」という作品にもそのことが反映していることは有名です。しかし、当時の日本ではガンバという楽器が作られていないことはもちろん、その存在も楽曲も一般的でなかったことを考えると、宮沢賢治がいかに音楽に親しみ、創作をする上でそれを重視していたのかということがうかがわれます。
「詩を書くためには音楽が必要だ」と言った宮沢賢治が、農民とともに楽団を作りたいという夢をもち、芸術と労働を一体化させようとしたことを思いつつ、「ゴーシュ」(フランス語で「左利き」を意味し、「左利き」の人には申し訳ないのですが、「下手」という意味に展開していた言葉とのこと)である自分も、ヴィオラ・ダ・ガンバと出会ったことで自身の世界観をより豊かなものにしたいと思っています。
今年度から国際交流委員長と入試委員を担当しています。長期・短期の研修派遣に関しては保険関係の手続きの仕事がさらに増えて、なかなか煩雑で大変です。それでも研修を経験して帰ってきて大きく成長した学生の姿に接すると、海外での研修の重要性を改めて感じさせられます。 入試関係の業務も入試の種類が増えて、忙しくなっています。少子化が進む中で学生を集める事は簡単ではなくなっています。そうした中で大妻も高校での出張講義を実施していますが、私も今年度は二つの高校で出張講義を行ないました。中国の纏足をテーマに取り上げて、その歴史的意味について講義をしましたが、高校の生徒たちは概ねまじめで、熱心に受講してくれました。高大連携が益々求められており、私達の学部もより積極的に広報活動を展開しなくてはならないと感じています。実際、多くの在校生たちにも参加してもらっているオープンキャンパスは好評で、それをきっかけに受験する高校生も増えてきました。ということで、卒業生、在校生のみなさんには、是非比較文化学部の広報宣伝をお願いしたいと思います。 研究に関しては、引き続き1920~40年代の戦争をはさんだ時期における日中両国女性の交流と葛藤というテーマで、共同研究を進めています。朝日新聞初の女性記者である竹中繁(たけなかしげ)、彼女がつないだ市川房枝、高良とみ、田村俊子、久布白落実、太田宇之助たちの対中国認識はどのようなものであったかということについて、メンバーで検討を重ねてきました。そして2025年10月には立命館大学で「女性たちは戦争にどう向き合ったかーー女性記者・竹中繁のつないだ日中の人びと」というシンポジウムを開催しました。聴衆からの質問も活発に出されて、濃密で充実した内容の会とすることができました。現在はこうした成果を、論文集にまとめて出版する作業が進んでいます。本のタイトルは『近代日中女性による「非体制」の模索』で、2026年春に春風社から刊行される予定です。多くの方にご高覧頂けると幸いです。 最後に、比較文化学部では今年も千代田キャンパスの文化祭期間中に、ホームカミングを開催し、多くの卒業生が参加してくれました。卒業生の成長した姿を見ることは、教員にとって大変嬉しいことです。まだ参加したことのない卒業生のみなさんも、是非次回は参加して下さい!
この記事を書く時期(11〜12月)との関係で、近況といえば「今年の取り組みを振り返りながら来年の展開を考えています」といった話になるでしょうか。過去の取り組みを踏まえて新しいことを計画し、関係者と相談や準備をする時間はとても充実しています。
ここ数年、学生が地域と関わる機会を増やすことに取り組んでいます。コロナ禍前にキャリア教育の共同研究を通じて地方自治体の方と関わりをもったことがきっかけで、現在は地域振興を扱うキャリア科目を通じて自治体関係者、履修者と一緒に地域振興について考え、取り組んでいます。キャリア科目で出会う学生の成長は、(その学生の所属学部学科にかかわらず)とてもたのもしいものでした。そこで昨年度からは、キャリア教育の共同研究とは別に、学部学生を対象にした取り組みを始めました。ゼミ単位で実施する広島研修と有志学生(ゼミ生には強制参加してもらいました)で取り組むデジタルインクルージョンのワークショップです。
いずれも今年は2年目の取り組みとなりました。広島研修は訪問ルートもほぼ固まり、しばらくはこの形で進めてみようかなという軸ができました。ワークショップは、多摩市との連携および本学の地域連携プロジェクトを利用して、学生が企画したイベントを多摩市立中央図書館で開催させていただきました。いずれも学部ホームページやインスタグラムに掲載されていますので、ぜひご覧ください。
どちらの取り組みについても、学外の方からは好評をいただき、参加学生からも参加してよかった、とりわけ多摩市立中央図書館との連携についてはインターンよりもためになったといったコメントをいただきました。私自身、一連の取り組みにおいて普段の授業では見られない学生の姿を垣間見ることができ、たのもしく思いました。それぞれに来年も継続、あるいはバージョンアップしてのぞみたいと準備をしているところです。
また、上記の取り組みは3年生以上を対象にしていましたが、別途1,2年生が体験できること(そしてそれをきっかけに上級学年まで継続してもらえること)も考えられたらいいなと思って、関係方面と調整中です。
このように、最近は来年の取り組みを考える毎日です。私は国際関係学やEU研究を専門にしているので、今取り組んでいることがゆくゆくは私の専門領域とも交差するようになるといいなと、漠然とではありますが次なる展開を考えてもいます。
3月にイタリアの中世建築を調査した際、久しぶりに夜行列車に乗りました。日本同様、現在のヨーロッパでも夜行列車の数が少なくなっています。ドイツ国鉄は2016年末にCity Night Lineを終了しましたし、この四半世紀でヨーロッパの夜行列車の便数が三分の一ちかくに減少したというデータを見たこともあります。
学生の頃は、ユーレイル・ユース・パスを使い、トーマス・クック社の赤い表紙の時刻表を手にしてバックパックをかつぎ、ヨーロッパの鉄道を楽しんでいました。車窓で偶然に見えた湖に行きたくて、予定外の駅で飛び降りることもありました。夜行列車で南から北へ一気に北上したときは、夏から晩秋へ季節ががらりと変わっていて、慌ててコートを購入したのも良い思い出です。
今回の調査で利用したのは、イタリアのIntercity Notteで、プーリア州のレッチェからローマまで乗りました。発車後、列車の振動に揺られながらまどろんでいると、列車がときおり途中駅に停車する音、そして、アナウンスの声が聞こえてきます。明け方に目を覚ませば、すでに薄い暁の光が車内に差しこんでいて、徐々に家の数が増えてゆき、やがて列車はテルミニ駅の頭端式ホームに滑りこみます。時間を効率的に使うことが目的でしたが、夜行列車には飛行機とはちがう旅の楽しさがあることを思い出しました。
先日、仕事終わりの夕方に、大学の近くのイタリア文化会館で開催されていた難民映画祭に足を運びました。そこで『ぼくの名前はラワン』というドキュメンタリー映画を見てきました。生まれつき耳の聞こえない少年ラワンが、故郷のイラクを離れ、難民キャンプを経てイギリスに渡り、イギリスの学校で手話を身につけていく話でした。イギリス手話という言葉を知ることで、少年の世界が広がっていく様子が丁寧に描かれていました。最も印象的だったのは、「学び続けなさい」という先生にこたえて、ラワンが「僕は強くなった。勉強したから。これからも勉強していく」と伝えた場面です。学ぶことの喜びと、自分を語る言葉を持つことの素晴らしさがまっすぐに語られていて、心を打たれました。彼にとって、学ぶことは自分らしく生きることなのだなと思いました。こんな風に学ぶ喜びを感じることが今の私にあるだろうかと考えさせられました。
このように、時折映画をみたり、芝居をみたり、小説を読んだりして刺激を受けています。仕事の方では、授業や会議、研究活動などに加えて、引き続き大妻教養講座を担当しています。卒業生の方にインタビューして授業をつくるのですが、学生だけでなく私にとっても学びになることが多く、慌ただしくも楽しい仕事です。
昨年「近況」を報告して早くも1年がたってしまいました。昨年はMergeとBox理論に取り組むことを目標に掲げました。ある論文の中で、人間言語の演算機能はdumbで、どのような演算を行ったかを覚えていないという記述ありました。これによってForm Copyという操作が出てきたりするのですが、本当にそうなのかと疑問を持ち、様々なことを考えていたら、あっという間に一年がたってしまいました。なんとなく演算機能かdumbであることが分かったような気がしました。最近はDuality of semanticsについて考えを巡らせています。来年のカリオペでこのことについて報告ができればと思っています。合わせてGIRについても報告ができればと考えています。
近年、「学際的」という言葉をよく耳にしますが、正確にその意味を理解できたのは2025年になってからのことでした。近年私は、イギリスやオーストラリアで19世紀から20世紀初頭に出版された文芸誌を研究しています。これらの文芸誌は、当時の文学・芸術・政治に関する生の情報の宝庫です。作家が文学テクストを発表する場でもあり、その批評が掲載される場でもあります。また、文学に描かれる歴史や思想を別の視点から理解するためにも、文芸誌は重要な一次資料です。こうしたことから、文学や歴史研究を充実させるためには、文芸誌という学際的なメディアに目を配ることの重要性を改めて実感した一年となりました。
具体的には、イギリスのリトルマガジンであるThe New Ageにおいて、インドや東洋がどのように言及されているかを理解することにより、当時の文学テクストに描かれる地理的空間に新たな広がりが生まれると考えています。また、オーストラリアでは、連邦形成に向けて雑誌メディアを活用し、国力向上を試みました。新しい国であるオーストラリアにとって「モダン」であることは、西洋と同じ意味を持ちませんでした。その独自の「モダン」の概念が、雑誌における文学や芸術を通してどのように追求されていったのかを追うことも、今後の研究の重要な目標の一つです。研究の成果を授業に生かしたいと考えていますので、どうぞ楽しみにしていてください!
2024年度まではヨーロッパ文化コースの所属でしたが、今年度からアジア文化コースへ移動し、「アジア研究入門CⅠ・Ⅱ(文学と芸術)」を新たに担当しています。どのような内容で行うべきか迷い、結局、日本映画の主要作品をとりあげて、それらを海外の映画作品と見比べながら、近代における文化や社会の変遷を比較文化学的な視点から概観する、という講義をすることにしました。今後、時間をかけて内容を修正しながら、必ずしも映画に強い興味や関心を抱いているわけではないアジア文化コース所属の皆さんにも面白いと思ってもらえるような授業にしたいと考えています。
また今年度は授業運営に直接かかわりのある教務委員とFD委員を兼務しました。生成AIが広く活用され始め、大学における教育や研究の内容も大きく変化する中で、今後の授業はどのように運営されるべきか、様々に考えさせられる年度になりました。
2025年度は大妻に勤めて20年目でした。実は、昨年度の教員近況も「20年目」と書いてしまいました。お恥ずかしいことに、どこかで計算を間違えていたようです。「十年一昔」と言いますので、ふた昔が過ぎたことになります。そんなに過ぎたのかなぁ。あっ、金曜3限の受講生である2年生の学生さん達が生まれたのが20年前か。そう考えると、長く勤めたという実感が急に湧いてきました。
昨年は、LA Dodgersのワールドシリーズ優勝のダイジェストを見ながらこの原稿を書いていました。今年は、2連覇達成でした。来年は、3連覇のダイジェストを見ながらこの原稿を書くことになるのでしょうか。
さて、毎年恒例の登山日記です。年明けから、三湖台や扇山や藤野の山々に登って、冬の富士山を眺めていました。ところが、例の熊騒動のせいで、最近は秋の紅葉シーズンになっても全く山に登っていません。まさかこんな事態になるなんて思ってもいませんでした。こう見えても、結構臆病者です。これまでも、熊鈴は常につけていたし、なんか嫌な予感がすると必ずホイッスルを吹いていました。その音にびっくりした鹿が飛び出してきたこともあります。まあ仕方がないので、CAAD10の2号機(一文字隼人君)に切り替えました。宮ケ瀬ダムや浅川サイクリングロードなどを走りながら、周囲の山々を眺めています。嬉しい誤算もありました。相模原市には見事な銀杏並木がたくさんあると再認識できたことです。
さて、2026年度は大妻に勤めて21年目となります。ともかく平穏無事な1年を過ごしたいものです。
夏、フィンランド経由でスペインに行きました。スペインでは、「遣欧使節の足跡をたどる」をテーマに、今回はマドリードとセビリアを巡りました。授業のひとつ(アジア文化研究E)では16~17世紀のキリスト教の日本・中国宣教を取り上げており、ヨーロッパから日本への流れを教えていますが、逆に日本からヨーロッパに伝わったものもあります。その一例が遣欧使節です。それ以外にも、マドリードの王宮美術館や王立修道院では、日本由来の螺鈿細工の器(南蛮漆器)が確認でき、マドリード歴史博物館では、焼き物や扇子など日本とヨーロッパの文化融合作品にもめぐりあえました。一方セビリアでは、セビリア大聖堂やアルカサルのようにイスラム様式とキリスト教の建築様式がまざった建物が見られ、融合する文化の豊かさを大いに見せつけられた旅でもありました。
余談ですが、スペイン語をまったく勉強したことがなかったので、語学学習アプリで毎日ちょこちょこと単語や例文を覚え、スペインに向かいました。ただ現地で見かけない単語もいくつかあり(たとえば「桃」はduraznoだと覚えたもののついぞ見かけず、melocotónが並ぶ)、帰ってきてからスペイン語履修中の学生さんと話していたら、「先生、あのアプリはアメリカ生まれですから、スペイン語も中南米の言い回しが多いですよ」と。
1999年4月に多摩キャンパスで産声をあげた比較文化学部も、今年で誕生から27年目を迎えています。いつの間にか同じ年月、私も比較文化学部とともに生きてきました。その間には、学部が多摩キャンパスから千代田キャンパスへ全面的に移転するという大きな出来事もありました。今から思えば、緑豊かな多摩キャンパスでの生活は、自然環境のせいもあってか、もう少し健康的なものだったように感じてしまいます。でもそのように感じる本当の理由は、おそらく自分が歳をとったせいでしょう。思い返せば、多摩へ通っていたころは年齢が若かったのみならず、車通勤で、時間も40分足らずで学校にたどり着きました。ところが今は混んだ電車を避けようと、しばしば各駅停車に乗ったりするものですから、ゆうに1時間半はかかってしまいます。これが結構身体に堪えます。ボディー・ブローのようにじわじわと疲れがたまって、何かをやる気力を出すのも大変です。また、やらなければいけない仕事があっても、しょっちゅう忘れてしまいます。なるほど、これが歳をとるということなのかと、古くなった自分と向き合う日々を送っています。そこで今の自分を表す一首を紹介。「古くなる頭を乗せて生きる身に、忘れ仕事の催促ぞくる」
さむいときには魔法瓶にあたたかいコーヒーやお茶をいれてもちあるくのですが、最近では酷暑のときに氷塊をいれてつめたいのみものをもちあるくようにもなりました。さて、いま「魔法瓶」といったわけですが、以前、中国人に指摘されたのですが、日本人はあれをマジで「魔法」だととらえているのかと…。とらえたんでしょうね。きっと魔法だととらえたのだとおもいます。いま学生にたずねると、魔法瓶ではなく水筒とよぶほうがおおいようです。学生たちはもはや魔法だとはおもっていないのかもしれません。それでもまだ魔法瓶は学生につうじますが、いずれ通じない時代がくるのでしょうか。
さて、よくにた指摘を別の中国人からうけたことがあります。日本人はなぜあれをキリンとよんでいるのかと…。あれとはgiraffeのこと。キリンとは漢字では麒麟であって、麒麟とは中国というか東北アジアにおいて、太平の時代にあらわれるという伝説の聖獣であり仁獣。キリンビールはまさにその伝説の延長線上にあるビールメーカー。キリンがいる以上、このよは太平なわけでして、そういったねがいがこめられたのか。中国語では「長頸鹿(ながいくびのしか)」…。日本のほうがメルヘンチックです。
本年度3つの主な活動が思い浮びます:教育、研究、とアウトリーチ(大学と学会ではない教育活動。)
教育に関しては、2つの授業の教科書を変更しました。コロナ禍のオンライン授業期間中に教科書を使い始めましたが、2024年度に教室で授業の中に欠点があると気づきました。新しい教科書に決めて、今学生たちがどのように使っているかを評価し、補足教材を探し続けています。まるで新しい授業を教えるようなものです。
研究に関しいて光明学校(現在東京都立光明校学園)に関する論文が出版されました。こちらです:”Kōmei School and the Path to Compulsory Education for Japan’s Children with Disabilities, “Asia-Pacific Journal (2025), 1–11 doi:10.1017/apj.2025.10014(査読付き)。
アウトリーチに関して、11月29日に講演をしました。世田谷で開催された「戦後80年伝えよ広げよう平和への願い」というイベントで、第二次世界大戦中の日本、イギリス、ドイツへの児童疎開について講演を依頼されました。
一年の活動についてご報告いたします。まず、学部の授業では、春学期から引き続きアジア文化コースの専門科目の担当をしており、受講生との議論を通してこちらも多くの刺激を受けています。授業内容の充実を図るため、新しい教材の導入や、学生参加型のアクティビティにも取り組んでいます。大学院では、院生の研究指導を進めています。個々の研究テーマに合わせて文献指導や研究計画の調整を行い、学会発表や論文執筆に向けたサポートにも力を入れています。院生が着実に成果を上げているのを見ると、大きなやりがいを感じます。また、9月3日から9日にかけて、中国文化研修の引率を担当しました。現地では伝統文化や歴史遺産の見学に加え、現地の研究者との交流も実施し、学生にとって多面的に学びを深められる貴重な機会となりました。安全管理とスケジュール運営に気を配りながら、学生の成長を間近で感じる一年間でした。
教育と研究のために、何より大切なのは体力だと年々実感することが多くなっています。とにかく風邪を引かないように手洗いうがいを頑張ったり、あとは体力をつけるためによく歩いたりしています。
近況として報告したいと思ったことは、格好いい「懸垂バー」というのを購入したことです。アマゾンのタイムセールでお得に買えたのですが、箱には「ぶらさがり健康器」と書いてあって、ちょっと恥ずかしいと思ってしまいました。昭和の時代に流行ったのが、「ぶら下がり健康器」なのです。しかし色は黒一色で格好いいんですよ。組み立ては自分でするので、結構頑張って組み立てました。家族には、「すぐに物干しになるよ」とからかわれているのですが、今は自分を持ち上げるのとは逆で、ゆっくり自分の体を下すという「ネガティブ・レップス」の練習をしています。最初は、落ちてたんです。実は、ぶら下がるのも手が痛いし、自分の体を支え続けるのも難しかったのです。そこで手にマメができない、なんかマッチョなボディービルダーが使うようなトレーニング手袋を買って毎日練習しています。1か月間、コツコツと毎日練習していたら、なんと自分をゆっくり下ろしながらも、落ちずにちゃんとぶら下がって支えられるようになりました。自分のことながら、年齢を重ねたってちゃんと練習すれば進化するじゃないかと褒めてやりたくなりました。いつかはわかりませんが、きっと懸垂できるようになる日も近い(!?)と信じて、頑張ります!
サバティカルでパリに長期滞在した経験が、思いがけず私の中でパリに対する強い憧憬を呼び起こした。私は2025年の夏、再びパリに5週間滞在した。目的は研究なので、毎日国立図書館に通ったが、それでも自由時間にパリの街を楽しむことができた。
今回は幸運にもカルチェ・ラタンの中心、ノートルダム寺院のほど近くにある研究者用宿舎の予約が取れた。観光客で賑わう名所が、まるで自分の日常の延長のようにすぐそばにある。夜になってもまだ明るい中、気軽に外に出て周辺を散策でき、これまであまり知らなかった夜のパリの美しさに触れることができた。
混雑を避け、朝の澄んだ空気の中で訪れたノートルダム寺院では、再建後のモダンな内装を静かに味わうことができた。光が差し込む明るい空間はこの寺院の再生の力を象徴していた。夏の間は夜にコンサートも行われていた。
寺院の近くには、新たに「追悼の庭園(Jardin du Souvenir)」が開園した。パリ市庁舎裏手、サン・ジェルヴェ広場に佇むその庭園は、2015年11月13日のテロ事件の犠牲者を悼み、祈りと記憶の場としてつくられた。静かに佇むその空間に、多くのフランス人が足を運び、祈りを捧げている。
私にとってこの庭園は今回の滞在で最も心に深く残る場所となった。喧噪から少し離れたその静けさの中で、フランス人の他者に対する思いや願いを感じとることができる気がする。
4月より着任いたしました中村真里絵と申します。
私の専門は文化人類学で、これまでタイ東北部を主なフィールドとして、大きな水甕や土製の動物をつくる職人の村や、彩文土器で知られる世界遺産の村などで調査を続けてきました。現在、担当している「比較社会論」では、多様なトピックを文化人類学の視点から読み解く授業を行っています。
都心に通う生活が始まり、最近は「下町」や「レトロ」といったキーワードを手掛かりに、東京を捉え直すことにも関心が向くようになりました。そこで10月にはゼミの3年生と谷根千の街歩きを行いました。今後もこうした取り組みを続けていければと考えています。
近況としては、つい先日、ゼミの4年生が卒業論文を提出しほっと胸をなでおろしているところです。4月に初対面だった学生たちと、執筆をめぐりやり取りを重ねるなかで、時にユニークな着眼点に触れることができたことは、大きな学びとなりました。
また現在、タイと台湾の地域博物館で、高齢者を対象にしたワークショップを実施する共同研究プロジェクトを進めています。来年10月で終了となるため、現地の方々と協働を深めつつ、成果をまとめていきたいと考えています。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年はサバティカル休暇をいただいたので7、8月の2ヶ月間、スペインに滞在することができました。日本と同様、この夏はマドリードも今までに経験したことがないような大変な暑さでした。午前中は図書館、午後は展覧会というルーティーンは崩れ、図書館から昼食を取りに帰宅した後は出かけず、家で涼しくなるのをじっと待つような日々が続きました。ともかく何をするにしても暑く、国内ニュースは山火事と政治家の汚職ばかりでさらにどんより気分でした。けれどそのような中で、嬉しい出来事がありました。私が大妻に着任した年のゼミ生の消息をマドリードで聞くことになったのです。彼女を仮にAさんとしましょう。Aさんは在学中にすでにフランメンコの舞台に立っていて、スペイン語を履修し卒論もその関連テーマでした。卒業後もその道に進むことはわかっていましたが、卒業後、私も同期のゼミ生も彼女と連絡が取れなくなってしまいました。気にはかかっていましたが、Aさん個人の連絡先を知る術がなかったのです。ある日、長年の友人の誘いでフラメンコ留学して今は日本でフラメンコ関係の仕事をしている方と夕食をご一緒した時に、その方がAさんとかなり近しい友人であることがわかり、すぐにAさんにメールしてくださって、Aさんは10月のホーム・カミングに大妻に来てくれました。そしてもう一人の国際社会で活躍中の同期ゼミ生も彼女との再会をとても喜んでいました。その後、久しぶりにタブラオで彼女の踊りを見ました。舞台にはしっかりと自分の道を歩んでいる一人のバイラオーラの姿がありました。日本からはるか離れたイベリアの地で10年ぶりにAさんとの縁を再び結ぶことができました。人のご縁って不思議だと改めて感じた2025年の夏でした。
もともとワークライフバランスに余裕がなく、家でもずっと仕事していたのですが、そこに親族のライフも加わり、バランスが完全に崩れてしまったのが2025年の後半でした。
秋の授業再開後は特に悲惨でした。「寝ても寝なくても地獄」という、中学校の先生だった人の記事(朝日新聞2025年11月20日朝刊)を読んで「ああ、ちょっとわかる」と思ったり。
プライベートな事柄ゆえ、ここに書けることはほぼないのですが、学生の皆さんに伝えられることがあるとすると
・配偶者の親を介護する法律上の義務は無い(自分の親はある)
・遠隔地にある墓と不動産には要注意
ぐらいでしょうか。
そんな中で大きな救いになったのは、ゼミ生の卒業論文の出来がすこぶる良かったことでした。何が有効だったのか、じっくり分析して来年度以降に生かしたいと思います。
人文学研究は「世界をより良くする」ためにあると阿部幸大は『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(2024)で述べています。社会課題の分析であれ、作品研究であれ、優秀論文はいずれも同じ意欲に溢れていました。
今年初めにあった大きな出来事はNeo-Latin and Japanという本の出版です(Brill2025年)。実際の執筆は2~3年かかりましたがこの本で扱ったテーマ、日本に関する、あるいは日本人が書いてきたラテン語テクストは20代のころから個人的に興味を持ってきたものではあります。今までいろいろ自分で調べてわかってきたつもりではありましたが、この本を書く過程で16世紀以降日本に関するラテン語の散文描写のみならず叙事詩、劇、最近では俳句まで、様々なテクストが生成発表されてきたことが確認できました。また日本人が学んで生成してきたラテン語散文や古典的韻文なども16世紀から現代にいたるまでかなりの数や種類があることが改めてわかりました。後者の中では今まで世界各地の古文書館等で埋もれていて翻刻紹介などされてこなかったものがあるので幾つかをこの本で初公開しています。ただ本を書いた後色々な人たちと話していると、毎日のように新たな発見があります。つい昨日も17世紀に作成出版された、とある日本人女性殉教者を称えるかなり長めのラテン語詩、おそらく今まで誰も学術的に扱っていないものの存在を知らされました。
ほか今年は出張でイギリスとフランスに行き、来年春はアメリカ、フィリピンとイタリアに行く予定が入っています。世界を見渡すと様々な変化がありますが、このような時代にこそ諸地域諸民族の歴史や文化を学ぶ価値がますます高まっていると感じます。「正解」や発展の方向がはっきりしている時代には細かい背景を知っても何の役に立つのか説明しづらいですが、混沌や正邪不明な出来事が多い時にはおそらくどういう理由からこれらは生じていてどのような展開になるのか、理解推測する上で体験に裏付けられた知識があるとないとでは大きな差が出ます。比較学部の今の学生、卒業生の皆様にもしっかりこのあたりを学び、またその学びを生かしてほしいものです。